2020年2月15日

音楽はどこまでも広く、深く、遠い

最近テレビで X JAPAN Toshi さんが中島みゆきさんの「」を歌っているのを見ました。それは私にとって大きなカルチャーショックでした。「糸」は合唱奏をしたり、デュエットをしてみたりで、私も練習をした曲です。この曲は、サビが低い音になるので、盛り上りがほとんどなくてそういう意味では難しい歌です。

それを Toshi さんは、今まで聴いたことのない歌い方の「糸」を披露しました。ロック歌手としての、誰ともかけ離れた歌いかたでした。ロックを歌っているときの Toshi さんはシャウトで激しく歌っていますが、他のポピュラーソングを歌う時には、とても繊細な表現と Toshi さん独特の張り上げをミックスさせて、その曲のそれまでのイメージを変身させています。 YouTube で他の楽曲も色々聴いてみましたが、すべてがそのように素晴らしいものでした。

そこで、 Toshi さんに興味を抱いて、いろいろと調べてみました。有名な「洗脳騒動」は Toshi さんを知るうえで欠かせない出来事です。私は当時(1997年頃)忙しい時期で、あまりテレビを見る時間がなかったのですが、それでも Toshi さんが X JAPAN を脱退、解散して、ホームオブハートを主宰する「MASAYA」という人に洗脳されていることは知っていました。

現在のToshi さん(左)と 解散前の X JAPAN(右から2番目が Toshi さん)

X JAPAN は諸悪の根源であると思いこまされ、 X JAPAN の Toshi であるという自覚はエゴからくる醜い心であって、自然のあるがままの自分になることが正しいということを刷り込まれ、髪も黒く短くしてサングラスもなしで、普通の一般人の姿で童謡などを歌っているのをテレビで見たことありました。その時はあまりのギャップに驚きました。

それについては後に Toshi さんが「洗脳」という本にすべてを書いています。それは12年間も続き、世界平和のためにと信じて、1人でドサまわりのライブでなどで稼がされたり、消費者金融で借金をさせられたりで12億円も吸い取られ、大きな借金を背負いました。なんで12年も?と思いますが、それだけ純粋だったと言えるのかもしれません。さすがに詐欺集団だと気がついて脱出するときも壮絶な苦労をしています。そして歌をやめようともしています。自分の歌に自信を見出していませんでした。そのように苦しみ続けた人生経験が、現在の Toshi さんの歌に表れているように感じて、心打たれるものがあります。

「洗脳」の後書きに、宗教被害者救済をしている紀藤正樹弁護士が「Toshi さんは天才的ロックシンガーで、それ以上のロックボーカリストはいない」と書いていますが、私も全くそうだと思います。

 私はクラシックギターを教えている父のもとで育ち、環境がクラシック音楽だけでした。父は昔、ギターと言えば古賀政男という認識が大きかった時代に、「クラシックギター」を普及してきたので「クラシックさん」と言われていたそうです。そういう父でしたから、ポピュラーを一段低く見ていて、発表会で合奏などを する場合、1~2曲ポピュラーを取り入れる時「ポピュラーでも入れてみるか」と 軽く見たような扱いでした。私もそんな中で育ったので、ポピュラーに転向するとは 夢にも思っていませんでした。ところが後年、私が弾き語りとしてポピュラーに転向した時に、 私のそんな考えは大きな間違いであったということを思い知らされることになります。

クラシックは音楽の基礎を身につける大切なもので、 X JAPAN が世界的にたくさんのファンがいて、ファン層も広く、元総理大臣の小泉さんがファンであることも有名になりましたが、それはリーダーの Yoshiki さんが元々クラシックの下地があってのロックだったことは大きいと思います。だからと言って、クラシック vs ポピュラーで、どちらが上ということはありません。

私が自分のオリジナル曲を数曲レコーディングした時に、一流のミュージシャン4人が伴奏してくださる機会を得た時のことです。

キーボード、ギター、ベース、ドラムの方たちに、レコーディングの当日、それぞれのパート譜が手渡されます。その楽譜を見ると、音符はほとんど書いてなくて、何も書かれていない小節がずっと並んでいて、コード名だけが書かれています。歌のメロディも書かれていません。しかもどんな歌かも知りません。それが、一度だけリハーサルと言って弾き始めると、アドリブで素晴らしい音楽を奏でるのです。その後すぐ本番で、それよりもっと素晴らしい伴奏の出来上がりです!たった2回で終わりです。しかも、心ふるえるような素晴らしいアドリブのメロディが入っています。私にはもう「神技」としか思えませんでした。それはクラシックしか勉強して来なかった人には絶対に出来ないことです。クラシックの場合は譜面を正確に弾く訓練しかしてないので、譜面がないとお手上げです。

私自身、クラシックギターと声楽を何年も勉強してきました。

さて自分がポピュラーを歌うことになって、どういう歌い方にするか考えた時に、クラシック調にポピュラーソングを歌う歌手に魅力を感じたことがなく、また、シャンソンのようにドラマチックに歌いあげることにも、魅力を感じなかったので、あくまでも自然に、「話し言葉がメロディを伴って伝わる」という歌い方を、誰のお手本もなく作り上げてきました。

だけど Toshi さんの歌を聴いて、初めてお手本にすべきところがあると感じたのです。そこで、今までの自分にプラスアルファを加えてみようと練習を始めました。それは楽しい作業です。まだまだこれでいいと思うところまで掴んでいませんが、これからの練習の積み重ねによって、少し違った歌になっていくと思っている今日この頃です。

 ある番組で、確か浄瑠璃だったと思いますが、ご高齢の人間国宝の方が本番近くになっても納得がいかなくて沈み込んでいる姿が映し出されました。芸術はどこまで行っても「ここまで」ということはないんですね。

それこそが、「芸術」というものの苦しみであり、喜びであると思います。

 

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2020年1月24日

4月12日を楽しみに

 ――― いよいよ秩父で「枝璃貴子と気のいい仲間達」を実現します

日記更新が大変遅くなってしまいました。実は1月3日から風邪をひいて38度の熱もでたりしていました。それでも長年かかりつけのお医者さまから予備の風邪薬をいただいているので、全部飲み切って、8日には吉祥寺に行きました。なかなか風邪の症状がおさまらず、最終的に胸が苦しくてたまらない感じになって、吉祥寺では予定がたくさんあって忙しいのですが、ようやく17日にいつものクリニックに行くことが出来ました。胸のレントゲンを撮った結果、幸い異常はありませんでした。以前、コンサート直前の時、「奥の手」とおっしゃった薬を処方して下さって、3日後には苦しさがなくなりました。すごい薬ですね!

暮れに、半年ぶりに秩父に帰ってみると、新年を迎えるために随分掃除をしなければならない状態になっていました。そして無事神社に初詣にも行くことが出来て、ホッとしたら2日はどっと疲れがでました。そんなこともあって重症化したのでしょう。

さて、「枝璃貴子と気のいい仲間達」のことは、昨年11月24日のWEB日記「枝璃貴子と気のいい仲間達リニューアル」で詳しく書きましたが、その一部分を紹介しますと、

普通は「発表会」とは門下生が高額な「発表会費」を納めて、お客様は無料と言うのが通例です。でも私はそのような師匠の利益主義を常々疑問に思っていましたので、門下生に高額な会費を納めさせなくていいように有料にして、それに見合う様に、プロ級の仲間たちや、私のミニライブも加えて、多彩な会にすることにしました。お客様がいなければ音楽家はコンサートが出来ないので、お客様はとても大切な存在ということと、さらに、生徒も仲間たちも、すべて尊い命を持っていて、今生私と関わった大切な存在です。それなので、「枝璃貴子と気のいい仲間たち」の日は誰もが、音楽レベルの違いや、職業や社会的な地位のことなど何も関係のない、すべての人が等しく尊い命を持った平等な存在であるという考えに至りました。それで、お客さまも出演者も同額の参加費を出し合って、みんなで楽しむ会にしようというコンセプトで続けてきた会なのです。

こんな会は他にはないと思うので、是非秩父の皆さんにも見ていただきたいと思いました。

神社の直会の時に、皆さんに催し物の日程を伺ったうえで、4月12日(日)に決定しました。

門下生のみなさんは、もう発表会に向けてレッスンを続けていますし、仲間たちもいつもよりは少ないけど、参加してくれます。そして一昨年、私がご近所の皆さまにご挨拶としてのコンサートをしたときに、ゲストで出演して下さった、ハーモニカの竹内克好さんも参加してくださいます。あのコンサートのあとに、竹内さんは埼玉県の教育長をされていた方なので、想像以上に秩父の皆さんが喜んでくださっていたことが分かりました。竹内さんは、34回続いた最初のころから一度も欠かさずに参加して下さっていますが、今回の竹内さん参加は格別に嬉しいです。


第34回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」クリスマスコンサート(2018.12)

私は、半年前から手の具合も悪くしていたのですが、何を歌うか本格的に練習を始めたところです。手は98パーセントくらい元に戻っていて、歌はほとんどまともに歌っていなかったのですが、思いがけない効果をもたらしていたのに驚きました。前に歌っていた曲が新鮮に感じられて、違う歌い方が出来る様になっていたのです。長い休養も悪くないと思いました。

怪我をする前は1週間おきに秩父と吉祥寺を往復していましたが、今年から1度の移動で、その代わり2週間滞在して、レッスンは月2回の人もいるので、2回受けられるようにしました。

23日に秩父に帰ってきましたが、この方法はすごくいいです。1週間だと、宅急便で必要な衣類や書類、雑貨をいちいち送らなければならないし、常に日にちに追い立てられている状況でした。2週間おきだと、気分もゆったりします。今振り返ってみると、イベントや色んなことを成し遂げるために、常に準備に追われ、すべてがまるで狂騒曲のように蘇ってきて、よくやっていたものだと信じられない感じです。お医者さまからも頑張り過ぎだと言われていましたが、その最中にあるときは一応こなしていたので、自分では無理という自覚はありませんでした。

でもこれからは、あの状況は異常だったと自覚して、できるだけゆったりした気分で進めていきたいと思っています。

ひまわりさん」こと菅原進さん(写真)が、聖火ランナーとして気仙沼を走るそうです。皆さん、応援しましょう!

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2020年1月1日

  新年のごあいさつ

明けましておめでとうございます。

皆様お元気に新年を迎えられましたでしょうか。

昨年は平成から令和になりました。令和に変わった時、私にも大きな転機が訪れました。

一度も怪我をしたことがない私が、腰骨その他を骨折するという大怪我をして、元通りの身体に戻るのに半年もかかりました。それを転機というには理由があって、実は昭和から平成に変わった年に一人娘、舞を亡くしました。それが転機となって、シンガーソングライターとして、世の中の悲しみや苦しみを持つ人の役にたちたいという道に進むことになりました。

そして今回の怪我によって、多くのことを感じ、学びも得ることが出来ました。いろいろあり過ぎて、ここに全部を書くのは長くなりすぎます。一例をあげれば、身体が不自由な人の思いを少しだけ経験したこと、愛がどんなに、人にとって必要なことか、等々です。面白いこともありました。長く歩くことも、自転車に乗ることもできなかったので、退院してから、週2回のリハビリと、月に何度かの診察、整形外科、内科、心療内科に行くために、全部タクシーで往復しました。東京無線に登録してタクシーを呼ぶことは簡単にできました。5ヵ月で100回以上乗っています。不思議なことに1度も同じ運転手さんに会うことはありませんでした。その一人ひとりの運転手さんの応対のあまりの違いに驚きました。とても親切な人、すごく冷たい人、普通の人、いろんな人がいました。今日はどうかな?といつも興味をもって乗っていました。

一番大きなことは、6か月秩父を留守にしている間、不死身を誇っていた本田が、11月13日に大怪我を負い、1ヶ月入院して、怪我の内容は違っても、私と同じような経験をしたことです。毎日電話でリハビリの状況を教えてくれましたが、やはりリハビリの様子は尋常でなく、強い気持ちで人の何倍もやっていて、全治2ヶ月と言われたところを12月13日、1ヶ月で退院して、翌日から仕事に行きました。さすがラグビーのキャプテンとして花園に出場した精神の強さはすごいと思いました。そして24日の夜、仕事が終わってから吉祥寺に迎えに来てくれました。翌25日に半年分の荷作り、大きな3個の荷物を宅急便屋さんに集荷してもらい、夜に秩父に帰ってきました。

1年前に秩父に移って、「おんがくの郷」を作るという目標を共通に持っていたものの、体力的にも金銭的にも、あまりにも大変で、ギクシャクしていましたが、この大きな試練を受けることによって、お互いにその存在の大きさに気付くことができました。そのことが一番大きな転機と言えます。

今年は心から協力しあって、焦らずゆっくりと取り組んでいきたいと思っています。

皆さま、今年もどうぞよろしくお願い致します。

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