2020年9月13日

10月から活動開始

皆さんに、ご心配をおかけしてしまいましたが、7月29日の口腔外科手術は無事終わり、8月6日に抜糸をしました。そして1ヶ月後の検診を9月7日にうけましたところ、縫い付けた肉がくっついていることがわかり、抜いた歯のところをがっちり囲んであった、セメントのようなガードが取り除かれました。まだくっついた肉はフワフワなので、気を付けなければなりませんが、歌うのには支障がないような感じです。少しずつ歌ってみようと思っています。肉がくっつくまで、早い人で1か月、半年かかる人もいるし数年かかる人もいると言われていたので、1ヶ月でくっついたということは、予想外の喜びです。

一番大変だったのは1か月位続いたパニック障害です。インターネットで秩父のパニック障害の医師を検索したら一軒しかなかったので、電話をしてみたら、予約がいっぱいで9月7日になるということで、その間T診療所に行ってみてくださいとのことでした。お腹の激痛や高熱の発作が起きているのに、3週間近くも待っていられないので、T診療所に行ったところ、昔からの赤ひげ先生のようなところでした。2週間分のお薬をだしてくださって、その2つの発作は出なくなりました。ところが、その前からふらつきがあったのですが、朝起きようとしたら、地の底に引き込まれるようなめまいで起きられなくなり、ようやく起きましたが、それ以来頭を不用意に動かすとすごい目まいがして、倒れるようになりました。ようやく9月7日、待ちに待ったパニック障害の専門医に診ていただくことができました。大変優しい先生で、私の質問にもニコニコして全部答えて下さって、薬の処方も私の意向を確かめながら出してくださいました。そして、念のために頭のMRIを撮ってみようと、紹介状を書いてくださったので、10日に脳外科に検査に行きました。もし、脳に何かあったらどうしようと緊張しましたが、結果は何事もなかったので、ほんとうに安心しました。

それなら、めまいはパニックのせいなので、もうすぐ良くなると思います。

これまでは軽いパニック障害で、気持ち悪くなると一番軽い薬を飲むと10分から20分位で良くなっていたので、あまり気にしていませんでした。でもこんなことになると気になって、良く調べてみようと、ネットやYouTubeで色々研究してみました。パニック障害と言っても、人によって色々な症状がありますが、私が一番腑に落ちた面白い動画を見つけました。その先生は、有名人をたくさん治された経験のある先生で、柔道の井上康生さん、大場久美子さん、堂本剛さん、円広志さんのことを話されていました。皆さん治療後はそれまでと違った人生観を得ることが出来て、活躍されています。

パニック障害とは、アドレナリン(闘争心、火事場の馬鹿力などを出す)とセルトリン(安心感、安定)がバランスよくあるべきところ、アドレナリンがすごく多くなった状態になるんだそうです。

例えば、玄関開けたら3メートルもある熊が立っていたとすると、だれもがパニックの症状になります。心臓はドキドキ、過呼吸、手足の震え、胃がキリキリ、筋肉の緊張などが起こります。その時、逃げるか戦うしかありません。戦わなければならない職業の人がパニック障害になりやすいので、プレッシャーを背負っている芸能人、有名人が多いというのも解ってきます。戦って、死にそうな苦しい思いをした経験が、熊がいなくても、またなるかもしれないという恐怖感、不安を持つことが発作につながるとパニック障害という病気になるんだそうです。

2014年に「障害」という名は一生治らない印象を与えるので、「パニック症」と変えたそうですが、まだ一般的には知られていません。

それを踏まえて自分のことをよく考えてみると、思いがけず急に秩父に行って「おんがくの郷」を作ることになり、1週間おきに秩父と吉祥寺の2重生活を続けて、1年半経った昨年の6月ごろ、両手が指の先まで痛くなりガタガタ震えた日があり、そのまま吉祥寺に来て夜中にトイレに行こうとソファベッドから立ち上がろうとしたときに、手の支えが出来なくてドーンと落ちて腰椎、尾てい骨などを骨折したわけです。入院した日に今回と同じ発作で、お腹や背中や内蔵など全部痛くなり嘔吐があり、その後40度の熱が3日間続いたのです。今考えると今回と同じ苦しみでした。退院してから、心療内科の先生にお聞きしたら、それらは全部パニック障害で、ドーパミン(アドレナリンを作りだすもの)が頂点に達した状態だと伺いました。

「おんがくの郷」を早く軌道に乗せなければならないという大きなプレッシャーが常に心にあって、3メートルとまではいかなくても、1.5メートルくらいの熊と私は闘っていたんだと気が付きました。

これからは、吉祥寺を引き払って、月に1度ビジネスホテルに5泊することにしました。ホテルは楽でいいです。10月4週目から活動を始めます。楽しみでワクワクしています。

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2020年8月13日

コロナ菌ではなく虫歯菌にやられた!

昨日は40度越えの地区もいくつも出て、大変な猛暑となり大変でしたね。
それはそうとして、私はこの1か月程、大変な苦しみを味わいました。
何年か前から治療済みの左の左の上の奥歯の歯茎が時々痛くなることがあって、吉祥寺にいたころは定期的に歯医者さんに通っていましたが、レントゲンでは何も異常ないということで、知覚過敏とか、力を入れて磨きすぎ、歯の食いしばりが強いのではないか、ということで済んでいました。秩父の引っ越しが決まったころは忙しすぎて何年か歯医者さんとはご無沙汰になっていました。
ところが4月、自粛で秩父にいる時、その部分の歯茎に白いぶつぶつがたくさんできたり少なくなったりしたのでネットで調べると、すぐに歯医者に行くように書いてあったのです。評判のいい歯医者さんを聞いて、O歯科医院に行きました。レントゲンのあとにCTを撮ると、直した歯の中に虫歯菌があって、骨を溶かして、鼻腔まで虫歯菌に侵されているということが分かりました。院長先生がすごく困った感じで、「秩父病院の口腔外科に行った方が‥‥」とつぶやいていました。
そこで私はすぐ、私の主治医である吉祥寺の松井先生に相談しようと飛んでいきました。「歯性上顎洞炎だね。」ということで、鼻や目の周りにもつながっていることを図を書いて説明して下さいました。大きな病院の口腔外科に行かないとだめだということになり、日赤病院に紹介しようとしましたが、あいにくコロナの関係で何か月も先になるということでした。秩父病院のことを聞いてみると、すぐにネットで調べて下さって、医師のプロフィールなども見て、「ここなら大丈夫だ」ということになりました。歯科医の紹介状が必要ということで、O歯科医院に行ってその話をしましたら、すぐに秩父病院に紹介状を書いて下さいました。

5月27日に秩父病院歯科に初めて行きましたところ、担当の先生は若くていかにも活躍されているという感じの先生で、安心しました。でもどんな手術をするかという説明は、素人にとってはどこがどうなるのかイメージが浮かばず、ただ々恐怖しか感じることが出来ないものでした。
歯の根元の骨が溶けているので、抜歯の時全部切り取ると、鼻腔と口との間に穴があくので、他のいい肉を切り取って、その肉を縫い付けるので、局所麻酔で1時間半かかるというものでした。

肉がくっつくまでの期間はうまくいって1か月、人によって数か月、数年かかる人もいるということでした。それまでの間、歌えるかは専門外なのでわからないとの事です。「これがあと何年も知らないでいたらどうなりましたか?」と質問すると、癌化して、顔半分を切り取ることになると言われて、昔、吉永小百合と浜田光男主演で「愛と死を見つめて」を観に行っていた私は、顔半分を切り取られて包帯で巻いている吉永小百合の姿が浮かんで、恐怖でいっぱいになりました。みなさん覚えているでしょうか?「マコ、甘えてばかりでごめんね、ミコはとっても幸せなの‥‥」という主題歌も大ヒットしました。山科さんが何年か前、スマップの草薙君主演で放送されたと言っていました。
秩父病院に行くにはバスで秩父駅に30分かけて行き、更に秩父病院の送迎バスで30分位で行くのですが、どちらも本数が少なく、秩父駅で30分~1時時間近く待たなければならないので、早くても1時間半以上かかります。送迎バスはコロナの関係で、私一人しか乗っていないことが多く、運転手さんと色々お話することが出来ました。そういう手術をすると言うと、とんでもない恐い話を聞くことにもなりました。顔が半分すごく腫れた女性が、ドクターヘリで5分で運ばれて助かった話とか、虫歯菌が全身に回って亡くなった人もいたそうです。
手術日は6月30日と決まりました。ちょうどその2日前に、私達より少し遅く、秩父に引っ越してきていた島田実さんから電話がかかってきて、事情を話したところ、「天からの知らせだ」と言って、病院の送り迎えは全部自分が受け持つと言ってくれました。家から車で直接行くと、なんと25分で行けるのでした。ほんとに助かっています。島田さんに大感謝です!

緊急事態宣言解除になったので、6月2週目に吉祥寺に2か月ぶりに行って、いつものようにレッスンや竹ノ塚の合唱奏の指導や、美容院、松井クリニックなどに行き、一週間滞在しました。
美容院から帰った後、異常に疲れた感じで、左目が瞼が重く瞬きがしにくく、テレビがぼやけて見えました。秩父に帰ると左の瞼が明らかにコロンと丸く腫れていました。左の頬も少し腫れています。秩父病院歯科に電話をすると、すぐに来てくださいと言われました。
歯科のH先生はそれを見て、この状態では30日に手術はできないと言いました。炎症がある状態で手術をすると、切り取った肉がうまく付かないのだそうです。そして手術日は7月29日と、1ヶ月も延期されてしまいました。その間安静にすることが大事なので「食っちゃ寝、食っちゃ寝してるのが一番いいんですよ」と冗談ぽく言っていました。そこからの1ヶ月が私にとって大変なことで、すっかり治っていたパニック障害がまた始まってきたのでした。毎日気持ち悪くて(乗り物酔いの感じ)歩くと前後左右にめまいでフラフラしてまっすぐ歩けなくなりました。
言われなくても「食っちゃ寝」状態になりました。
パニック障害は手術が近づくにつれて、ひどい発作を起こすようになりました。死にそうに苦しい思いもしました。そこで私はパニック障害についてタブレットで色々調べていたら、とても面白い説明をしているお医者さんのお話が一番納得がいきました。その先生は、パニック障害は芸能人、有名人にとても多くて、柔道の井上康生さん、大場久美子さん、歌手の円ひろしさん、キンキキッズの堂本剛さんを担当されたお話もされていました。長島一茂さん、アン・ルイスさんなど、私もパニック障害になった芸能人をたくさん知っています。この話は長くなるので次回にいたしましょう。

頬の裏側の肉を切り取って、歯茎となるべきところに縫い付け、手術は無事終わり、8月6日に抜糸をしました。「肉が定着するまでの間は、鼻をかんだら大出血をおこして、また手術のやり直しになるし、大声を出したり、鼻に負担がかかるようなことをしてはいけません」とのことです。
でも普通の声で話せるし、パニック障害も大分よくなりました。
それなので、延期していた「枝璃貴子と気のいい仲間たち in 秩父」は12月6日に決行することに決めました。充分にコロナ対策を考えて、いつもとは全然違う内容に変える事にしました。
出演者の人たちはみんな了解してくれたので、楽しみです。

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2020年7月10日

天使と悪魔

コロナ騒動の最中に、今度は豪雨災害に見舞われてしまっています。被害にあわれた人々には何と言っていいかわからないほどの心の痛みを感じています。そんなニュースの中、自衛隊の救助隊の人が、ガタガタ震えているお年寄りを両脇で支えながら、助けることが出来た喜びの笑顔を向けているのを見た時、それから、まだ20代半ばと思われる自衛隊員が幼児を抱いて慈愛に満ちた優しい笑顔を小さな子に注いでいる姿を見た時に、私は涙があふれる思いでした。

美輪明宏さんがテレビのある番組で、「この世には天使と悪魔がいて、悪魔の方が圧倒的に数が多くて力が強い」というお話をされていたことがありました。私は半ばおとぎ話のように聞いていましたが、その後、なるほどと思うことが多くなりました。人間ですから、100パーセント天使で、100パーセント悪魔ということは無いと思いますが、先の自衛隊員たちは、まさに天使の魂を持っている人たちだと思います。逆に、これはほんとに悪魔かな?と思ってしまう国の党首もいますよね。そこまでいかなくても、弱者の心を理解できない政治家たちや、人の命を何とも思わない罪を犯す人たちも悪魔の魂を持っている人たちと思ってしまいますが、私はおかしい考え方なんでしょうか?

私自身ある時期から、被災地に行ったり、弱者のためにお役にたちたいと、ソングセラピストになったりしています。そのような私にたいして、「何のためにそんなことに一生懸命になれるの?」と、不信感と侮蔑に満ちた鋭い目を向けられたり、偽善者と言われたことは数知れないほどあります。それは説明できない、自然に湧き上がってくる思いとしか言いようがありません。私はたまたまシンガソングライターとしてささやかながら表に出ていますが、幼いころから虚弱体質で、今でもいろいろと体調が悪いために、身体を使って飛び回ることはできない弱者でもあります。せめてコンサートやお話の会などを開くこと位の事しかできません。それに比べて、私の周りには、ほんとに困っている人たちのために一身を投げうって行動をしている尊敬する人が何人もいます。

出版社: 遊行社 (2019/12/1)
1,870 円 92p

名誉やお金の事なんか眼中にありません。今、一人ひとりの名前を挙げる時間がありませんが、その人たちは天使だと思います。その中の一人、藤島昌治さんが逝去されました。

藤島さんのことはWEB日記2019年12月19日「不条理すぎること」に書いています。その知らせを下さったのは、気仙沼や南相馬に私を紹介して下さった新井正人さんです。新井さんはもと国鉄の方で、今はOB会の会長をされています。もう何年も前から、セラピストや精神科医の方を伴って駅のホームの見回りをされています。ホームに飛び込みそうな人を探しているのです。「長年やっているとなんとなくわかる」と仰っていました。もう藤島さんが長くないと、病院の電話番号を教えて下さったので、私は直接電話をかけてお話することが出来たことが、ほんとに良かったと思っています。藤島さんはその時、「元気ではないけど何とか詩は書いています」とおっしゃっていました。最後に「色のない街」を出版できたことはすごい精神力だったと思います。

藤島昌治さん 冨田祐一さんの
ご冥福を祈って御霊前に捧ぐ

新井さんも、ただ遺骨をお姉さまが持っておられるということしかわからないそうで、私達もどうしていいか分かりません。

そして時を同じくして、藤島さんの詩を音楽にするために朗読をお願いした冨田祐一さんが逝去されたという知らせが奥様から届きました。

天使たちはこの世ではあまり報われませんが、天国ではすごい霊格の高い地位となって歓迎されていることと信じています。

「合掌」

2014年 11/7(金)西荻 COCO PALMで行われたライブビデオ
藤島さんの詩集「仮設にて」を音楽にのせて披露させていただきました
その折に、詩集「仮設にて」の作者 藤島昌治さんが、
わざわざ福島から駆けつけられて、ご挨拶をされました。
このビデオはその折の様子で、とても貴重な映像です。

 

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2020年6月24日

「非常事態宣言」解禁に寄せて

いよいよ「非常事態宣言」が解禁になり、世の中いろいろと動き出しましたね。

まだまだ問題だらけの様相を呈していますが‥‥ 。

私はこのところ、思い掛けない事態が続いて、日記の更新が大幅に遅れてしまいました。

それでも、6月初旬から吉祥寺でレッスン開始ということで、1週間行ってきました。

門下生の方たちは、「気のいい仲間たち」のコンサートはいつ頃にしますか?と、気持ちを切らさないでいてくれたので嬉しく思いました。一時、リモートレッスンはどうかと思って、山科さんに調べて貰って、2日掛かりで、2人でオンラインのやり方を試しましたが、結局できたものの、山科さんと私がお互いに手を振りあって喜んだだけで止めました。そんなに簡単なことではありません。ニュースでは便利そうに言っていますが、政治家本人が操作して簡単にできる人なんているんですか?

吉祥寺でのレッスンは、コロナの危険が及ばないように、生徒と私の距離は2メートル近く離れた横並び、アルコール消毒はいつでもできるように目の前に置き、もちろんマスクをしたままで歌うというレッスンをしました。換気にも気を配りました。

私は外の移動中は手袋をして携帯用のアルコールで頻繁に消毒をするという万全な行動をとって帰ってきました。

今、メディアではいろんなジャンルで工夫を凝らしながら、始めていますね。野球好きの私は野球が見られるようになって嬉しいです。

さて、私はどうしたらいいのか?「枝璃貴子と気のいい仲間たち」はとても大事に思っている会で、是非秩父の皆さんに見ていただきたいと思うので、コロナの状況をよく見極めながら慎重に時期を決めたいと思っています。最近思いついたことは、紫陽花スタジオは最高で50人は席を作れます。まずはコンサートではなく、私が被災地や、はじめ塾などで行ったコンサートのビデオを観ていただきながら、いろんな裏話などをお話をする会なら、すぐにでもできそうだと思ったのです、お客様は親しい方々10人位で、十分距離を確保し、マスクをして、コミュニケーションの場ができたたらいいな、と思います。このことを四方田先生にお話しましたら、大賛成をしてくださいました。

とにかくいろんないいアイディアを考えていきましょう!

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2020年5月26日

世の中に必要のない職業 ???

先日テレビをつけると、若い女性がクラシックギターを弾いている画面が現れました。タルレガ作曲の「ラグリマ」です。それは私が子供の頃、父がいつも弾いていた曲です。父は若い頃、ギターの勉強をしたくて家出をして上京、溝渕浩五郎先生*に師事しました。溝渕先生は、日本のクラシックギターの黎明期に「カルカッシ教則本」を編纂された方です。ピアノで言えばだれもが最初に習う「バイエル」のようなものです。父は才能を認められ一番弟子として、ラジオで先生と2重奏をすることになっていたそうです。でも肋膜炎にかかり、道半ばにして酒田に帰らざるを得なくなりました。そして戦争になり、東京に復帰することはできませんでした。それ以後、まだクラシックギターが世の中にあまり知られていない頃、酒田でクラシックギター教室を開いて、クラシックギターの普及に尽力しました。発表会の時には、いつも父と小学生だった弟と私の3人で三重奏をしました。私は痩せっぽちで手の力もないのに、どういう訳か、誰よりも大きな音で弾くことが出来て、低音もボンボン出すので、いつもサード(低音でリズム感を出す役割)を弾かされていました。そして、私が小学生の時に、溝渕先生を酒田にお招きして、「溝渕浩五郎ギターリサイタル」を開催しました。その時私は白いレースのワンピースを着て先生に花束を贈呈する役割を果たしたのです。そんなようなことが「ラグリマ」を聴いただけで、まだ人生の苦難を知らなかった頃の思い出がたくさん浮かんでくるのでした。


前列左から、弟 溝渕先生 父 私 従兄(後列、父のお弟子さん達)

その頃ピアノを習わせられていましたが、発表会で弾いた「アラベスク」という曲はなんていい曲なのだろうと、練習の時もワクワクして、今もはっきりと自分の演奏が耳に残っています。でも、当時自宅にはピアノがなくて、楽器店だったお店のピアノで練習しなければならなかったので、それが嫌で、2~3年で辞めてしまいました。先生からは、生まれ持った音楽性があると褒められていたそうですが、もったいないことをしてしまいました。高校の時には、また父が勝手に歌の先生と約束してきて、今度は声楽を習わされました。その時も「声はダイアモンドの原石で、音楽性も先生のイメージ通りに歌う子だ」と驚かれたそうですが、それも、事情で辞めてしまいました。ギター以外は父からやるように言われたことだったので、続けようという思いがなかったのかもしれません。でも音楽はいろんな紆余曲折を繰り返しながら今に至っています。それらのすべてが無駄なことは無かったと言えます。そして私という人間が形成されたわけです。

これは、私という一個人を例に挙げたまでの事ですが、すべての人たちがそれぞれの生い立ちや、経験によって人間形成がなされていると思います。決して、生命を維持するためだけの営みだけで生きてきたわけではないと思います。「貧しくて食べるだけで精いっぱいだったよ」と怒る人もいるかもしれませんが、そうでしょうか?

色んな苦しみ、悲しみの経験が、その「心」が、きっと後の人生に役立っているのではないでしょうか?

人間には「心」があります。以前本で読んだのですが、他の動物にはない人間だけが持つ特別な「脳」があるそうです。

前回、5月8日に吉祥寺の美容院に行ったことを書きましたが、その時隣に座っていた方が音楽関係の人で、以前有名な歌手のマネージャーをしていた方だそうです。コロナ騒動で何も仕事がなくて暇で困っているという話をしていました。そうしたら、美容院の店長が「世の中には必要のない職業ってあるからね」と、同情を込めて言ったのです。私は音楽が世の中に必要ないと言われた気がしてカチンと来ましたが、その人はただ力なく笑っていました。

私は店長とは長年の付き合いで、すごくいい人で楽しくて仲がいいのですが、そういう深い配慮に欠けるところが「玉に瑕たまにきず 」です。

今、音楽関係、演劇関係が一番自粛を求められているのは確かですね。大きな災害や非常事態に見舞われた時、真っ先に必要なのは生命を維持することです。必死にそれに取り組まなければなりません。だけど、ある程度時間が経ってきたときに、人はそれだけでは生きていけないのです。「心」の満足感が得られないと「心」が病気になってしまうでしょう。それを得ることが出来るのが、芸術、スポーツ、様々な娯楽などですね。音楽は決して「世の中に必要のない職業」ではなく、人生にとって大きな役割を果たすものです。だれしも「思い出の歌」があるといいます。「歌は世につれ世は歌につれ」とか、「たかが歌、されど歌」と言われるように歌には大きな力があります。

先日のサポーター便りの中本正勝さんのお便りでもそれが感じられました。

ようやく「緊急事態宣言」も解除ということになり、6月からレッスン開始です。門下生の人たちが再開を喜んでくれているので、私も嬉しいです。2か月も休むという電話をしたときも「ちゃんと元気で練習していますから大丈夫ですよ」と言ってくれた人もいて、たいていの人たちは練習を続けている様子でした。なんて素晴らしい生徒さん達なんでしょう!

今、芸能関係者たちは、一番やってはいけない部類の立場に置かれ、じっと我慢の時です‥‥ 。

◇ ◇ ◇

* 溝淵浩五郎 みぞぶちこうごろう は名ギタリストと呼ばれ、カルカッシのギター教則本(左)を編纂。現役のギタリストの多くが教えを受けた。カルカッシ・ギター教則本は、現在でもクラシックギターの入門書として広く使われている。昭和42年享年55歳で没。右のレコードは、溝淵が昭和10年代中頃、20代後半のときに録音されたものではないかといわれている。戦前にギターの独奏を録音した珍しいレコードである。

 

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2020年5月10日

5月も「緊急事態宣言」延長

やはり「緊急事態宣言」延長になりましたね。大変なことです‥‥ 。

私の方も4月はずっと秩父にいて、レッスンもお休みにしていましたが、5月もお休みにすることにしました。今回の安倍首相のお話は、少し緩めてもいいようなニュアンスがあったので、5月の末ならレッスンを始めてもいいかな?と迷いましたが、どんな状況になるのかはっきりわからない以上、自粛することにしました。6月の2週目からレッスン開始の旨、門下生の方達に伝えました。

私のかかりつけ医院と、長年行っている美容院は吉祥寺にあります。どうしても行かなければならない事情ができたので、5月7日と8日に吉祥寺に行ってきました。6日までの第1次「緊急事態宣言」が明けたばかりということもあってか、電車も町も人出が多くなっていて、私もそうでしたが、確かに気の緩みが出た感じがしました。でも、駅ビルも多くの商店もお休みということは続いていました。

美容院は3月20日に行ったきりですが、その時はまだ美容院も危機意識がなくて、私がマスクをしたままでいようとしたら、マスクが濡れるから外さないとダメだと笑っていたのですが、今回行ってみるとガラッと変わっていました。3個の椅子を2個にして距離を取って、あとの1個を突き当りに置いていました。マスクはしたままで出来るように、耳にかけるゴムを前に折り込んで、メンディングテープで顔に貼って落ちないようにする工夫が施されていました。このマスクの方法は奥さんが考えたそうで、「いい考えだから YouTube で発表したら?」と、私は感心して帰ってきました。

吉祥寺に行って発見したことがふたつあって、ひとつは自転車に乗って後ろを見る時、首が痛くてあまり首が回らなかったのですが、今回毎日ヨガをやっていたおかげで、若い時のようにずっと後ろを見ることが出来たこと。もうひとつは、秩父では家にばかりいてあまり歩かないので、吉祥寺駅まで歩くのに息切れがして苦しくなっていたことです。毎日の積み重ねが、良くも悪くも如実に表れることを思い知らされました。

そこで、今日から毎日近くのお寺まで歩くことに決めました。片道6分位の短い距離でも、毎日続ければきっと効果が出てくると思います。左が変形性股関節症なので、これだけでも「エライ!」と思える事なんですョ。楽になってきたらもう少し距離を伸ばしていくつもりです。途中の道端に藤の花が咲いていたのでスマホで写真を撮ってきました。

秩父の庭も色んな花が咲き、裏庭の畑も本田が少しずつ色んなものを植えています。明日葉あしたば、大根、ホウレンソウ、ブロッコリー、キュウリ、ナス、レタス、西瓜、苺、ミント、ピーマン、パプリカ等です。大きな畑の方はじゃが芋がたくさん植えられています。お向かいの島崎さんが色々と教えてくださったり、苗をもってきてくださったりしています。なにかと気にかけていただいて、ほんとに有難く思っています。

早く普通の日常が戻ることを願いながら、なんとか少しでもやれることをやっていくしかありませんね。


秩父の庭に咲いている花たち(*藤の花は道端で
(左上から 紫陽花・クレマチス・しゃくなげ・裏の畑に出来たイチゴ
左下から・マーガレット・藤の花*・ツツジ

 

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2020年4月23日

転んでもただでは起きない精神

皆さん、ほんとに大変ですね‥‥。つくづくそう感じる今日この頃です。

コロナに感染した方、医療現場の方々、通勤せざるをえない方々、お店経営の方々、それぞれの大変さがありますね。家から出ないようにしている人たちは、その中では一番楽なように思えますが、これも長くなると結構辛いものがあります。私の関係者にも、そろそろ鬱状態になりかかっている人も出てきました。

そこで、「転んでもただでは起きない精神」を持つことも大事かな、と思います。欲深いというイメージがありますが、根性があるという意味もあります。私は子供を亡くして以来、そのやり方で来ています。「舞は天使要員として、私を導く使命で生まれてきた」とか、昨年の背骨圧迫骨折の時は、「私は気づかないうちに無理をし過ぎていた」とか、その他もろもろです。それでは、私は強いのかというと、そうではなく、幼いころ過保護に育ったせいか、何度も心が折れたり、折れかかったりしました。でも、「転んでもただでは起きない精神」に戻るすべは身につけたということでしょう。今は、スポーツジムで10年近く習っていた初心者ヨガを、一人で毎日続けるというミッションを与えています。これまで、音楽の仕事以外は自分に甘く、病院のリハビリなどに頼ったりして、なかなか一人では出来なかったのですが、やると決めたからには、続けることが出来ています。もう病院のリハビリに行く必要がないくらい、ヨガが一番有効であることがわかりました。

先日、琵琶の 舩水 ふなみず 京子さん(写真) からお電話をいただきました。舩水さんのことは以前に何度かWEB日記に書いていますし、「枝璃貴子と気のいい仲間たち」の時の演奏をYouTubeで観ることも出来ます。今94歳になられたそうですが、3年前に腰の圧迫骨折、その後、駅の階段を下りているときに後ろから押されて肩を骨折したり、その後も何か所か骨折をされて、家族同伴でない限り、ドクターストップで外出を禁止されています。舩水さんの電話は「非通知」になっていて、何度か不在着信がありました。どういうわけか着信の時に全然気が付かなかったのです。このところ、舩水さんが直接電話に出ることが出来なくなっていて、息子さんご夫妻が出られて、電話口に来られるのがすごく大変そうでしたので、こちらからは電話をしづらくなっていました。何ヵ月か前に三納さんに電話があって、「あの世とこの世を行ったり来たりしている」と言われていたと聞いて、ますます掛けづらくなっていました。ようやく、先日の着信はすぐ出ることが出来て、久々にお話することが出来ました。

舩水さんは90歳になっても、元気に演奏活動をされていて、私の目標でした。ところが電話の内容は、「もう物忘れがひどくなった、股関節が悪くなって転ぶと一人で起きられない、90代になるともう全然だめだ」というものでした。やはりもうダメなのかな?と思いながら聞いているうちに、「小池百合子はこれを機会に人気が出る」とか「2階の階段が大変になった」とかになってきました。「えっ!まだ2階のご自分の部屋で過ごしているの?世の中の情勢もちゃんと把握してるじゃない!」と驚いて、予想と全然違うことに気が付きました。きっと愚痴を聞いてほしかったんだな、と思った私は、「股関節は筋肉を鍛えるとよくなりますよ。私も左の股関節が悪いけどヨガで良くなっています。筋肉は何歳になっても強くなるんですよ」というと、「ほんと!」と、明るい声になりました。そこで私は、大先輩に対して悪いかなと思いながらも、色々とアドバイスを始めたのです。舩水さんの持論は「琵琶を自分で持ち運び出来なくなったら辞める」でしたが、「そんなことにこだわらないで、人に持ってもらえばいいし、歩くのが大変になったら、家ではリハビリに励んだ方がいいけれど、仕事に行く時は車椅子でもいいじゃないですか、舩水さんにしかできない、琵琶の弾き語り(すべて自作のお話)こそが一番大事なことだから、それさえ出来れば手段は選ばない、と割り切る方がいいと思います」などと進言させていただきました。

そうすると見違えるほどの元気な声になって「そうね!枝璃さんと会いたいわ!」と、なりました。よかった!私も早く会いたいです。

とにかく、出来るだけプラス思考になって、転んでも何かを拾いましょう!
秩父の庭は、4週間前は雪景色だったのに、今はもうこんなに花が咲いています。


秩父の庭に咲いた花たち
(左上から たんぽぽ・チュウリップ・紫陽花・シャクナゲの蕾・水仙・紫陽花)

 

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2020年4月10日

緊急事態宣言

3月28日の土曜日、予定通り吉祥寺から秩父に帰ってきました。

その少し前に、小池都知事から「週末の外出は控えて下さい」との記者会見があったばかりです。

私はどうしようか、月曜日まで待った方がいいか、と思いましたが、天気予報が翌日の日曜日は大雪になると言っているし、混乱が起きる前に思い切って予定通り土曜日に帰りました。所沢から西武秩父まで特急レッドアロー号に乗るのですが、車両には私を含めて3人しか乗っていませんでした。西武秩父駅からバスで30分で家の近くに到着します。ところが、バスは1日数本しか出ていないので、特急の到着時間にちょうど合う時間が限られます。その日は夕方着くようにして、バスの時間まで1時間10分位あるので、駅ビルの食堂でアイスクリームでも食べていようと思っていました。6時近くに着いて、駅ビルに入っていくと、かすかに音楽が流れていて、だんだん大きくなっていくと、なんと「蛍の光」ではありませんか!いつもはもっと遅くまで開いているのに。仕方がないので、寒いけど駅の待合室でスマホの YouTube でも見ていようと少し待っていたら、恰幅のいい大柄な若い男性が、マスクもしないで入ってきて、すごい大きな咳をするではありませんか!とっさに私の近くにいた若い女性と同時に立ち上がって外に出ました。それからが大変、寒い中ずっと外に立っている羽目になりました。今はもう駅ビルは閉まっているようです。翌朝、庭を見てびっくり!一面の雪景色でした。


3月29日 秩父の庭

その後、状況は急速に悪化して、いいタイミングで帰ってきて良かったと思いました。4月は、12日に吉祥寺に行くことになっていましたから、毎日テレビの情報番組を見ていました。どんどん大変なことになってきて、早く緊急事態宣言を出してもらいたいと思って待っていましたが、ようやく4月7日発令されました。その時の安部首相のお話は、あまりにも情感に訴えようとする内容で大変白々しく、「今更なんだ!」という思いがしました。医療現場、コロナに罹った人たち、経済的に追い込まれた人たちの大変さを思うと、いたたまれない思いです。

私が所属している日本音楽家ユニオンでも、政府に陳情書を提出したりしています。代表の土屋学さんが会見もしました。その甲斐もあって、当初は支援対象から外されていたフリーランスも条件付きながら対象に含ませることができました。

その土屋さんは私のCD「枝璃貴子の世界Ⅱ 今、伝えたい思い」のなかで、3曲のアレンジとキーボードの伴奏して下さった方です。


休校の保護者助成フリーランス”格差”を訴える 土屋学さん
その様子はこちらからご覧いただけます(58秒)

さて、私はレッスンをどうしようか?と悩んでいました。門下生の人たちは、まだ何も言って来ていませんでした。8日、山科さんに電話してみると、松沼さんが「17日にレッスンに行って、24日には竹ノ塚センターの合唱奏に先生を車で連れてくる」と張り切っていたとのことでした。松沼さんは、合唱奏のメンバーで、昨年から個人レッスンも始めていたので、竹ノ塚に行く日には車で来て、個人レッスンをしてから竹ノ塚まで私を車に乗せて行ってくれる人です。門下生の皆さんは、私の身体を気遣ってくれたり、収入面まで心配してくれます。だから私が中止の連絡をしない限り、レッスンはするつもりで、何も言って来ないのだと思いました。やはり行った方がいいと思っていたところに、松沼さんから17日はレッスンに行かないというメールが入りました。そこで、門下生ではありますが、いろいろお世話になっている山浦さん(枝璃貴子のボランティア活動を支援する会を立ち上げくださった会長)に相談しようと電話をかけました。山浦さんは慎重で考え深い方です。私がどうするか、と思っていたところだったようです。そして、「ねばならない」ということで来るのであれば、吉祥寺には来ない方がいい、という名言をいただきました。その言葉で、4月は吉祥寺に行かない、と心も決まり、皆さんに電話をしたところ、快く受け入れてくれました。その後の報道を見ていても、早く決めて良かったと思っています。あれだけ外出自粛を呼び掛けているのに、あえて移動するのは社会的にも危機意識に反する行為と思います。吉祥寺の病院関係や美容院に行く必要はありますが、この際仕方がありません。事務所の大家さんである大島さん(ヨーガのお仲間)にその旨メールを送ったところ、秩父に帰ったのは正解だと返信をいただきました。吉祥寺はもうお店は閉まっているし、ほとんど何もできないような状況になっているそうです。


そして今朝のニュースを見て驚きました。緊急事態宣言で、知事の権限が強まるはずだったのに、小池都知事が政府によって、考えを修正させられたということを知って、頭から湯気が出るくらい頭に来ました。

いろいろと自粛をして協力している私達の気持ちをないがしろにされたような気分です。知事たちが足並みを揃えようとはどういうことですか?ある時期、小学校の徒競走で、みんな手をつないで走ったのと同じでしょう。東京は人口や規模からいっても全然違うではありませんか。小池さんが都知事に当選した当時の「小池いじめ」のことを思い出しました。

小池都知事の言動に少し問題があったとしても、とにかく緊急にコロナを封じ込めるために、中途半端なことでダラダラ長引かせるのではなくはなく、思いきった取り組みをして、早く収束してほしいと思います。

 

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2020年3月25日

皆さんいかがお過ごしですか?

コロナ騒動は治まるどころか、ますます危険な状態になってきていますね。国民の皆さまもそれぞれの事情によって様々なご苦労を強いられておられることでしょう。なんとか最悪なことにならないように願うばかりです。

私の場合は、コンサートは延期にしていますが、吉祥寺でレッスンは続けています。もともと声を使う仕事ですから、風邪の予防や乾燥防止のためマスクは箱買いしていて、まだかなり残っているので、レッスンの時はマスクのない生徒さんにはマスクをあげて、みんなマスクをしながら歌う様にしています。アルコールは買う時期を逸して、もう売っていなかったので、ハンドソープで手を洗っていただくようにしました。湿度計を見ながら湿度を保って、時々空気の入れ替えもしながら、お互いに感染者を出さないように気を配っています。竹の塚地域センターはまだ休館になっているので、メンバーの人たちは吉祥寺の事務所に来てくれています


本田の方は昨年から、深谷でLIXIL(リクシル)の工場の、耐震の仕事をしていて忙しかったのですが、ようやく3月で終わります。お向かいの島崎さんが、今ジャガイモを植えないと時期を逸してしまうと言って下さって、本田の仕事が25、26、27日が休みになったので、25日に島崎さんが一日かかってトラクターで、広い畑を耕してくださいました。本田はトラクターの前側に石灰を蒔く役目だったそうです

26日に本田がジャガイモをたくさん植えるそうです。みんなでイモ掘りが出来る位たくさんできるみたいです。27日は家庭菜園的に何種類かの野菜を植えると言っていました。


⥣ 島崎さんに耕していただいたジャガイモ畑

島崎さんには、秩父に行ってすぐの頃から大変お世話になっていて、そこからいろんな皆さんとの繋がりも出来てきたので、ほんとに感謝しています。

4月から、本田もまた「おんがくの郷」のリフォームのほうに力を入れることが出来るので、「 紫陽花あじさい スタジオ」の、まだ完成していないところに取り掛かってくれるそうです。早く近隣の人たちが集まって、お茶を飲んでおしゃべりをしたり、東京から来た仲間たちとイモ掘りをしたり、もちろんコンサートも出来るようになればいいな、と思っています。皆さんそれまで辛抱して頑張りましょう!

よかったら、ホームページにお便りをください。お便りを私にメールしていただけば、ホームページに掲載させていただきます。

 

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2020年3月10日

4月12日のコンサートは延期に決定しました

4月12日の「枝璃貴子と気のいい仲間たち in 秩父」は延期することに決定しました。

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新コロナウィルス騒動は3月に収束どころか、益々難しい状況になってしまいましたね。秩父の状況を伺ってから決定しようと思い、今日四方田先生と民生委員の長島さんにご足労いただき、色々なお話を伺いました。

四方田先生は以前紹介していますが、秩父オペラを長年にわたって応援しておられる方です。そして、近隣の皆様に音楽全般にわたって、よい演奏会を紹介されたりもしています。長島さんは民生委員として役員をされておられます。

お二人とも私が「おんがくの郷」の活動をすることを大変に歓迎して下さっています。

昨年5月に「紫陽花スタジオ」でコンサートをしたときには、お二人がたくさんのお客様を集めて下さいました。来たかったのに来られなかった人も多かったそうです。

今回4月12日に決めたのも、4月5日の神社の春祭りでチラシを配ることが出来るということと、オペラの関係のコンサートがゴールデンウイークの頃にあるということを伺って、その間の4月12日ということにしたのです。ところが、春祭りもオペラ関係のコンサートも、3月14日のバイオリンコンサートもすべて中止になったそうです。

私も秩父のコミュニティーの一員になったからには、いろんな兼ね合いを考慮しながら事を進めていくことが大事だと思うので、今日いろんなお話合いが出来たことはとても有意義であったと思います。

有難いことに、四方田先生はまだチラシが出来る前から、いろんな方に「また枝璃さんがコンサートをしますよ」と知らせて下さっていましたので、今日チラシを何枚か持って行ってくださって、延期になるけどと言って渡してくださるそうです。ポスター、チラシは延期になった日にちだけシールを貼って、そのまま使うことにしました。日にちが決まったら、ポスターもたくさん貼って下さるそうです。

8月には秩父オペラの公演が開催されることになっていますが、それも危ぶまれている状況のようです。それでも練習だけは続けなければならないので大変だと思います。

私の方の門下生たちも、せっかく本番に向けていい状態に持って行くことが出来ることを身につけてきたところだったので残念です。でも、ここは何度もコンサートをしてきた私が掴んできた、そんな時の対処法を、指導の中に取り入れていこうと思っています。

とにかく、早く収束に向かうことを待ちましょう。

 

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2020年3月1日

新型コロナウィルス騒動

2月28日、月に1度、合唱奏の指導に行っている竹ノ塚地域センターに到着したところ、職員の山科さん(門下生)がいて、「今電話が入って、3月休館になります」とのことで、みんなびっくり!

そして翌日、安部総理の会見がありました。それについては色々感じたことはあります。一番思ったことは、日本の医療のレベルで、検査が少ししか出来ないということに不信感をもっていましたが、今頃改善すると言われても遅すぎると思ったし、これまで制限してきた思惑に対しても不信感をぬぐいきれません。

微力ながらも震災の被害を受けた人たちと関わってきた私としては、ず―っと思い抱いている、今の政権の弱者に対する思いやりのなさに、今回も憤りを感じているところです。そして、すべてがストップしてしまった現状を心配しています。

震災の後にも、コンサートの自粛が相次ぎましたが、それは被災された方々を思った精神論としての自粛でしたが、今回は得体のしれないウィルスのための自粛ですから、仕方がないと思います。

3月11日の震災の時、私は6月にコンサートの予定があって、会場の方から停電になっても責任を持てないという連絡がありました。最初は中止しようと思いましたが、あえて決行したことは2017年10月6日の日記「東日本大震災支援チャリティーコンサートのDVD」に書いています。停電になってもなんとか切り抜けようという覚悟をもってコンサートをしました。以前「田無神社」の宮司さんのお宅で、バイオリン演歌の牧野英一郎さんと一緒に「川の流れのように」を披露していた時に停電になったことがありました。私は暗譜していたし牧野先生もバイオリンを止めなかったので、真っ暗闇の中でも最後まで演奏することが出来ました。だから臨機応変に手を尽くせばなんとかなるだろうと思っていました。

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とはいえ、3月1日に山科さんに来てもらって、4月12日の「枝璃貴子と気のいい仲間たちin秩父」の案内を発送する予定でしたが、こんな事態になった今、さすがにそれは中止しました。もう少し成りゆきを見ていこうと思います。

それでも、門下生たちは発表に向けてギアを上げてきています。発表会をする意義はそこが一番大事なところです。只々レッスンだけを続けているよりも、人前で演奏するという目標があると、いつもより本気になって頑張るので、私も驚く位、急に上達してきて嬉しいかぎりです。そういう緊張感を感じないで甘く見ている人は何年経っても上達しません。私は、上手な人だけを出演させるのではなく、まだ始めたばかりで、どういうことになるか心配な人でもみんな出演することにして、頑張っている姿を見ていただくことに価値があると思っています。

4月までコロナ騒ぎが収まっていない場合は延期にしますが、この会は少人数の予約制なので、予約して下さった皆さんに連絡することができるし、会場は紫陽花スタジオで、融通がききますから大丈夫です。

そんな状況の中でも、誰も不安を口にしないで、前向きに頑張っている門下生たちを、私は誇りに思います。

 

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2020年2月15日

音楽はどこまでも広く、深く、遠い

最近テレビで X JAPAN Toshi さんが中島みゆきさんの「」を歌っているのを見ました。それは私にとって大きなカルチャーショックでした。「糸」は合唱奏をしたり、デュエットをしてみたりで、私も練習をした曲です。この曲は、サビが低い音になるので、盛り上りがほとんどなくてそういう意味では難しい歌です。

それを Toshi さんは、今まで聴いたことのない歌い方の「糸」を披露しました。ロック歌手としての、誰ともかけ離れた歌いかたでした。ロックを歌っているときの Toshi さんはシャウトで激しく歌っていますが、他のポピュラーソングを歌う時には、とても繊細な表現と Toshi さん独特の張り上げをミックスさせて、その曲のそれまでのイメージを変身させています。 YouTube で他の楽曲も色々聴いてみましたが、すべてがそのように素晴らしいものでした。

そこで、 Toshi さんに興味を抱いて、いろいろと調べてみました。有名な「洗脳騒動」は Toshi さんを知るうえで欠かせない出来事です。私は当時(1997年頃)忙しい時期で、あまりテレビを見る時間がなかったのですが、それでも Toshi さんが X JAPAN を脱退、解散して、ホームオブハートを主宰する「MASAYA」という人に洗脳されていることは知っていました。

現在のToshi さん(左)と 解散前の X JAPAN(右から2番目が Toshi さん)

X JAPAN は諸悪の根源であると思いこまされ、 X JAPAN の Toshi であるという自覚はエゴからくる醜い心であって、自然のあるがままの自分になることが正しいということを刷り込まれ、髪も黒く短くしてサングラスもなしで、普通の一般人の姿で童謡などを歌っているのをテレビで見たことありました。その時はあまりのギャップに驚きました。

それについては後に Toshi さんが「洗脳」という本にすべてを書いています。それは12年間も続き、世界平和のためにと信じて、1人でドサまわりのライブでなどで稼がされたり、消費者金融で借金をさせられたりで12億円も吸い取られ、大きな借金を背負いました。なんで12年も?と思いますが、それだけ純粋だったと言えるのかもしれません。さすがに詐欺集団だと気がついて脱出するときも壮絶な苦労をしています。そして歌をやめようともしています。自分の歌に自信を見出していませんでした。そのように苦しみ続けた人生経験が、現在の Toshi さんの歌に表れているように感じて、心打たれるものがあります。

「洗脳」の後書きに、宗教被害者救済をしている紀藤正樹弁護士が「Toshi さんは天才的ロックシンガーで、それ以上のロックボーカリストはいない」と書いていますが、私も全くそうだと思います。

 私はクラシックギターを教えている父のもとで育ち、環境がクラシック音楽だけでした。父は昔、ギターと言えば古賀政男という認識が大きかった時代に、「クラシックギター」を普及してきたので「クラシックさん」と言われていたそうです。そういう父でしたから、ポピュラーを一段低く見ていて、発表会で合奏などを する場合、1~2曲ポピュラーを取り入れる時「ポピュラーでも入れてみるか」と 軽く見たような扱いでした。私もそんな中で育ったので、ポピュラーに転向するとは 夢にも思っていませんでした。ところが後年、私が弾き語りとしてポピュラーに転向した時に、 私のそんな考えは大きな間違いであったということを思い知らされることになります。

クラシックは音楽の基礎を身につける大切なもので、 X JAPAN が世界的にたくさんのファンがいて、ファン層も広く、元総理大臣の小泉さんがファンであることも有名になりましたが、それはリーダーの Yoshiki さんが元々クラシックの下地があってのロックだったことは大きいと思います。だからと言って、クラシック vs ポピュラーで、どちらが上ということはありません。

私が自分のオリジナル曲を数曲レコーディングした時に、一流のミュージシャン4人が伴奏してくださる機会を得た時のことです。

キーボード、ギター、ベース、ドラムの方たちに、レコーディングの当日、それぞれのパート譜が手渡されます。その楽譜を見ると、音符はほとんど書いてなくて、何も書かれていない小節がずっと並んでいて、コード名だけが書かれています。歌のメロディも書かれていません。しかもどんな歌かも知りません。それが、一度だけリハーサルと言って弾き始めると、アドリブで素晴らしい音楽を奏でるのです。その後すぐ本番で、それよりもっと素晴らしい伴奏の出来上がりです!たった2回で終わりです。しかも、心ふるえるような素晴らしいアドリブのメロディが入っています。私にはもう「神技」としか思えませんでした。それはクラシックしか勉強して来なかった人には絶対に出来ないことです。クラシックの場合は譜面を正確に弾く訓練しかしてないので、譜面がないとお手上げです。

私自身、クラシックギターと声楽を何年も勉強してきました。

さて自分がポピュラーを歌うことになって、どういう歌い方にするか考えた時に、クラシック調にポピュラーソングを歌う歌手に魅力を感じたことがなく、また、シャンソンのようにドラマチックに歌いあげることにも、魅力を感じなかったので、あくまでも自然に、「話し言葉がメロディを伴って伝わる」という歌い方を、誰のお手本もなく作り上げてきました。

だけど Toshi さんの歌を聴いて、初めてお手本にすべきところがあると感じたのです。そこで、今までの自分にプラスアルファを加えてみようと練習を始めました。それは楽しい作業です。まだまだこれでいいと思うところまで掴んでいませんが、これからの練習の積み重ねによって、少し違った歌になっていくと思っている今日この頃です。

 ある番組で、確か浄瑠璃だったと思いますが、ご高齢の人間国宝の方が本番近くになっても納得がいかなくて沈み込んでいる姿が映し出されました。芸術はどこまで行っても「ここまで」ということはないんですね。

それこそが、「芸術」というものの苦しみであり、喜びであると思います。

 

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2020年1月24日

4月12日を楽しみに

 ――― いよいよ秩父で「枝璃貴子と気のいい仲間達」を実現します

日記更新が大変遅くなってしまいました。実は1月3日から風邪をひいて38度の熱もでたりしていました。それでも長年かかりつけのお医者さまから予備の風邪薬をいただいているので、全部飲み切って、8日には吉祥寺に行きました。なかなか風邪の症状がおさまらず、最終的に胸が苦しくてたまらない感じになって、吉祥寺では予定がたくさんあって忙しいのですが、ようやく17日にいつものクリニックに行くことが出来ました。胸のレントゲンを撮った結果、幸い異常はありませんでした。以前、コンサート直前の時、「奥の手」とおっしゃった薬を処方して下さって、3日後には苦しさがなくなりました。すごい薬ですね!

暮れに、半年ぶりに秩父に帰ってみると、新年を迎えるために随分掃除をしなければならない状態になっていました。そして無事神社に初詣にも行くことが出来て、ホッとしたら2日はどっと疲れがでました。そんなこともあって重症化したのでしょう。

さて、「枝璃貴子と気のいい仲間達」のことは、昨年11月24日のWEB日記「枝璃貴子と気のいい仲間達リニューアル」で詳しく書きましたが、その一部分を紹介しますと、

普通は「発表会」とは門下生が高額な「発表会費」を納めて、お客様は無料と言うのが通例です。でも私はそのような師匠の利益主義を常々疑問に思っていましたので、門下生に高額な会費を納めさせなくていいように有料にして、それに見合う様に、プロ級の仲間たちや、私のミニライブも加えて、多彩な会にすることにしました。お客様がいなければ音楽家はコンサートが出来ないので、お客様はとても大切な存在ということと、さらに、生徒も仲間たちも、すべて尊い命を持っていて、今生私と関わった大切な存在です。それなので、「枝璃貴子と気のいい仲間たち」の日は誰もが、音楽レベルの違いや、職業や社会的な地位のことなど何も関係のない、すべての人が等しく尊い命を持った平等な存在であるという考えに至りました。それで、お客さまも出演者も同額の参加費を出し合って、みんなで楽しむ会にしようというコンセプトで続けてきた会なのです。

こんな会は他にはないと思うので、是非秩父の皆さんにも見ていただきたいと思いました。

神社の直会の時に、皆さんに催し物の日程を伺ったうえで、4月12日(日)に決定しました。

門下生のみなさんは、もう発表会に向けてレッスンを続けていますし、仲間たちもいつもよりは少ないけど、参加してくれます。そして一昨年、私がご近所の皆さまにご挨拶としてのコンサートをしたときに、ゲストで出演して下さった、ハーモニカの竹内克好さんも参加してくださいます。あのコンサートのあとに、竹内さんは埼玉県の教育長をされていた方なので、想像以上に秩父の皆さんが喜んでくださっていたことが分かりました。竹内さんは、34回続いた最初のころから一度も欠かさずに参加して下さっていますが、今回の竹内さん参加は格別に嬉しいです。


第34回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」クリスマスコンサート(2018.12)

私は、半年前から手の具合も悪くしていたのですが、何を歌うか本格的に練習を始めたところです。手は98パーセントくらい元に戻っていて、歌はほとんどまともに歌っていなかったのですが、思いがけない効果をもたらしていたのに驚きました。前に歌っていた曲が新鮮に感じられて、違う歌い方が出来る様になっていたのです。長い休養も悪くないと思いました。

怪我をする前は1週間おきに秩父と吉祥寺を往復していましたが、今年から1度の移動で、その代わり2週間滞在して、レッスンは月2回の人もいるので、2回受けられるようにしました。

23日に秩父に帰ってきましたが、この方法はすごくいいです。1週間だと、宅急便で必要な衣類や書類、雑貨をいちいち送らなければならないし、常に日にちに追い立てられている状況でした。2週間おきだと、気分もゆったりします。今振り返ってみると、イベントや色んなことを成し遂げるために、常に準備に追われ、すべてがまるで狂騒曲のように蘇ってきて、よくやっていたものだと信じられない感じです。お医者さまからも頑張り過ぎだと言われていましたが、その最中にあるときは一応こなしていたので、自分では無理という自覚はありませんでした。

でもこれからは、あの状況は異常だったと自覚して、できるだけゆったりした気分で進めていきたいと思っています。

ひまわりさん」こと菅原進さん(写真)が、聖火ランナーとして気仙沼を走るそうです。皆さん、応援しましょう!

 

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2020年1月1日

  新年のごあいさつ

明けましておめでとうございます。

皆様お元気に新年を迎えられましたでしょうか。

昨年は平成から令和になりました。令和に変わった時、私にも大きな転機が訪れました。

一度も怪我をしたことがない私が、腰骨その他を骨折するという大怪我をして、元通りの身体に戻るのに半年もかかりました。それを転機というには理由があって、実は昭和から平成に変わった年に一人娘、舞を亡くしました。それが転機となって、シンガーソングライターとして、世の中の悲しみや苦しみを持つ人の役にたちたいという道に進むことになりました。

そして今回の怪我によって、多くのことを感じ、学びも得ることが出来ました。いろいろあり過ぎて、ここに全部を書くのは長くなりすぎます。一例をあげれば、身体が不自由な人の思いを少しだけ経験したこと、愛がどんなに、人にとって必要なことか、等々です。面白いこともありました。長く歩くことも、自転車に乗ることもできなかったので、退院してから、週2回のリハビリと、月に何度かの診察、整形外科、内科、心療内科に行くために、全部タクシーで往復しました。東京無線に登録してタクシーを呼ぶことは簡単にできました。5ヵ月で100回以上乗っています。不思議なことに1度も同じ運転手さんに会うことはありませんでした。その一人ひとりの運転手さんの応対のあまりの違いに驚きました。とても親切な人、すごく冷たい人、普通の人、いろんな人がいました。今日はどうかな?といつも興味をもって乗っていました。

一番大きなことは、6か月秩父を留守にしている間、不死身を誇っていた本田が、11月13日に大怪我を負い、1ヶ月入院して、怪我の内容は違っても、私と同じような経験をしたことです。毎日電話でリハビリの状況を教えてくれましたが、やはりリハビリの様子は尋常でなく、強い気持ちで人の何倍もやっていて、全治2ヶ月と言われたところを12月13日、1ヶ月で退院して、翌日から仕事に行きました。さすがラグビーのキャプテンとして花園に出場した精神の強さはすごいと思いました。そして24日の夜、仕事が終わってから吉祥寺に迎えに来てくれました。翌25日に半年分の荷作り、大きな3個の荷物を宅急便屋さんに集荷してもらい、夜に秩父に帰ってきました。

1年前に秩父に移って、「おんがくの郷」を作るという目標を共通に持っていたものの、体力的にも金銭的にも、あまりにも大変で、ギクシャクしていましたが、この大きな試練を受けることによって、お互いにその存在の大きさに気付くことができました。そのことが一番大きな転機と言えます。

今年は心から協力しあって、焦らずゆっくりと取り組んでいきたいと思っています。

皆さま、今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

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