2018年4月5日(木)

「はじめ塾」春の合宿で「歌とお話の会」

 

3月31日、不登校など問題を抱えている子供たちが寄宿舎生活を送っている「はじめ塾」が、丹沢で春の合宿をしているところへ出向き、「歌とお話の会」をしました。

「はじめ塾」をサポートしておられる池上眞平さんの紹介で、夏の合宿の終戦記念日に、コンサートをというお話をいただいておりました。終戦記念日は父母の方々も来られて、一番人数が多いとのことでした。

合宿所は古民家を改造したところと伺っていましたが、はたしてどんなスペースか、マイクを使ったほうがいいのか、様子がわからないので、春の合宿のときに見に行ってみようということになりました。それならせっかくなので、そのときに合宿している子供たちだけでも、歌とお話の会をして来ようということになったのです。

私と本田と山浦さんの3人で、午前10時頃御殿場線の山北駅に着くと、塾長さんが車で出迎えてくださっていました。80年あまり続いている「はじめ塾」創設者和田重正さんのお孫さんにあたる、3代目の若い塾長さんです。車の中でいろんなお話を伺いながら、合宿所に到着して車を降りると、数人の子供たちが出迎えてくれて、驚いたことに、荷物を持ちましょうとか、世話をやいてくれるのです。

建物はいくつかに分かれていて、全部子供たちで作ったのだそうです。小学生から中学生ぐらいの子供たちです。

上のほうから「こんにちわ」と元気な声がしたので見ると、屋根に座った4人の女の子たちでした。なにもかもびっくりしながら、池上さんたちが作ったという応接室のような建物に案内されました。大学に合格したばかりの女の子がお茶を運んできてくれました。合宿は、寄宿舎生活をしている子供たち以外の、家から学校に行っている子ども達も参加しています。子供たちが畑で作物を作って、それをまた子どもたちで料理を作っているのだそうです。

私より全然たくましいではありませんか!

そしていよいよ、会を始める時間になり、母屋のほうに移動すると、まず入り口のところは土間になっていて、かまどがあって、中学生くらいの子達が食事の支度をしているところでした。

はじめに、東日本震災直後のチャリティーコンサートのDVDを観てもらうことになっていたので、35分に短縮したDVDを観てもらいました。一緒に観ていると、想定していた子供たちと違いすぎて、このDVDは合わなかったと感じ始めました。なにしろ小さい子たちが大半を占めていて、想定していた中学生、高校生が少なく、しかも暗くないのです。小さな子達は退屈しているようでした。失敗したと思いつつ、生のお話と歌で挽回しようと、話し始めましたが、それを取り返すのはけっこう難しく、久々にあせりました。でも、ひまわり号の話をして「ひまわりさん」を歌ったときから、小さい子達も真剣に聴いてくれるようになりました。そして、最後に池上さんの提案で、DVDに収録されている「この指とまれ」をみんなに覚えてもらって、終戦記念日に一緒に歌うようにしようということになっていたので、歌詞をみんなに配ってみんなで歌いました。けっこう難しい歌だと思っていましたが、みんなすぐに歌えて、とても盛り上がって終わることができました。感心したのは、全部の歌に力を込めた大きな拍手を送ってくれたことです。たくさんゲストの方々が訪れておられるようなので、そのようなことを身につけていると思われました。

そして、ゲストが来られたときには恒例のことらしく、質問コーナーの時間になりました。みんな「ハイ! ハイ!」と、勢いよく手をあげます。内容がまるでアイドルにするような質問が多く、年齢のギャップがありすぎるので、すごく大変でした。「好きな宝石は?」「得意な料理は?」「好きな動物は?」「意外に思われる一面は?」等々。とうの昔に興味を失ったことが多くて、即答するのが難しかったです。一番ウケたのは「初恋はいつですか?」に、小学6年生のときのワタルちゃんの話。一番失敗したのは「好きな歌手は?」に、「西城秀樹の30歳ごろと安全地帯の玉置浩二の若いころ」、誰も知らないでしょうが !!

それから、子どもさんたちが作ってくれた昼食を一緒にご馳走になりました。基本的に菜食が中心で、ヘルシーな料理でした。豆ご飯がおいしかったので、「これはなんの豆?」と聞くと、前に座っていた中学生の少年が「自分たちが作った大豆です」と言ったので、「私は大豆が嫌いなのに、これはすごく美味しい」と言ったら「それは嬉しいです」と喜んでくれました。彼はいじめにあって、小学校も中学も全然行っていない、と明るい表情で話してくれました。私の隣に座っていた、なにかとエスコートしてくれる知的な雰囲気を持っている少年は、東京の家から学校に通っていて、今年高校に進学したそうです。彼は「被災地などで、なにかしてみたいと思っている」と話してくれました。

歌が好きな女の子がいて、「高校か大学に行ったら習ってみようかと考えている」と言っていたので、「それはいいと思う。譜面が読めたり、基本を知っていることは大きな強みになるよ」とアドバイスしました。本田さんの席の近くにいた身体の大きなハーフの少年は「宮大工になりたいので、建築の勉強をする」と言っていたそうです。いきいきした大きな目の少年でした。

そして、なんか面白いキャラを持っている6歳の男の子が、私が歌っているとき一番退屈そうにしてたのに、「ひまわりさんとか、なんでも歌になっている」と不思議そうに言ったので、なるほど、そんな感じ方があるんだと思って、「それならみんなで歌詞を作って、私が作曲して、8月のコンサートで歌おう」と約束しました。

その後なんと!みんなの謡いにあわせて、女の子がお能の舞を披露してくれました。とにかく皆さんの能力はなにかとレベルが高いです。塾長の和田正宏さんがひとりひとりを尊重して、のびのびさせているからだろうと思いました。

私たちの秩父の拠点作りの話をして、みんなに手伝ってもらいたいくらいだと言ってみたら、なんだか秩父にも来てくれそうな感じです。

山浦さんもすごく元気をもらったと言っていましたし、3人とも、いい意味でカルチャーショックを受けたような、楽しい1日となりました。

ボタン

2018年3月22日(木)

気仙沼「ひまわりさん」の記事からの展開

(クリック拡大)
2018.3.9付け 朝日新聞より 

2014年に気仙沼の大島でライブコンサート「歌とお話の会」(2014.5/28WEB日記「続・気仙沼慰問旅行を終えて」に詳しく書いています)を開催しましたが、その時コンサート開催のお世話をしてくださったのが、「ひまわり号」の船長である菅原さんです。先日近藤さんから、朝日新聞に菅原さんの記事が載っていたと、メールで記事を添付をして送られてきました。「ひまわり号」は震災の時に、大きな津波の中を乗り切って、まだ船の運航がストップしていた時期に、気仙沼と大島に取り残された人々を一人で何度も往復して貢献したことから、地元では「ひまわりさん」と呼ばれて有名な方です。この程廃業をすることになり、「ひまわりを保存する会」が立ち上げられたという内容の記事でした。それで、私たちもなにか協力しようということになりました。

大島のコンサートをする前年に気仙沼でコンサートをして、宿泊した大島の「アインスくりこ」のオーナーの白幡さんが、菅原さんを紹介して下さって、その時に「ひまわりさん」の本をいただきました。イギリスでも話題になってイギリス人が歌にしてCDを作ってくれたことも知りました。「日本語の訳詞を作ってみましょうか?」と言ったら、権利関係のことがあって無理だということでした。それで、外国人が歌を作っているのなら、日本でも作った方がいいと思って、私も作ってみようと思いました。本を読んでみると、自然に歌詞が浮かんでくる感じでしたが、内容が深刻ですから、逆に子どもたちが歌うイメージにして、可愛い感じのメロディーにした方がいいかもしれないと思いました。そして出来上がった歌を自宅で録音して、音源と楽譜を送っておりました。

翌年、大島のコンサートの時にお孫さんの小学校の校長先生が来られていて、いつも授業の時に子どもさんたちが歌っていると、おっしゃってくださいました。あんな自宅録音の音源を聴いて歌ってくれているのかと、嬉しくもあり、恐縮な思いでもありました。

それで私は、「ひまわりさん」の歌を、ちゃんとした形に作って記念に進呈したいと提案すると、みんなもそれはいいということになって、菅原さんに電話をしました。「東京でレコーディングしてCDを作った方がいいか、それとも大島に行って子どもさんたちと一緒に歌っているところをビデオに撮って、DVDにしたほうがいいか、どちらがいいでしょうか?」と聞いてみると、大島で一緒に歌っている方がいいということになりました。「ひまわりさん」は、あれからずっと歌い継がれていて、いまでは学校の行事のときにも歌われているということでした。この歌には、子どもさんたちが「ひまわり号」のことをずっと歌い継いでいけたらという希望を込めていましたから、それを伺ってほんとに嬉しかったです。早速、菅原さんが学校に伝えて下さったところ、校長先生たちも大変喜んでくださっているとのことでした。今学校の方で、4月の末か5月の初めごろということで検討して下さっています。

 昨日、被災地支援を続けておられる、医師の鎌田實さんとさだまさしさんの会(3・11を忘れない、というタイトルだったと思います)が銀座マリオンで開かれ、「ひまわりを保存する会」のことを紹介するために、菅原さんが出演されるということを伺ったので、本田と2人で会いに行ってきました。全席満席ということでしたので、開演前の控室に行って挨拶するだけのつもりで行きました。奥様もいらっしゃっていて、懐かしく会話を交わしたりしていました。さだまさしさんも同じ場におられましたが、大勢の人たちに囲まれていました。そんな時思いがけなく関係者の方が声をかけてくださって、関係者として入場できるようにしてくださったのです。

第1部は、鎌田先生の講演で、ビデオの映像を交えながら、被災地の病院などいろいろな実情を話してくださいました。その時に、南相馬で医療にあたっておられる、絆診療所の遠藤清次先生もステージに上がられてお話をされました。それがなんと、私たちが何度か訪れた仮設の近くだったのです。会場で、近くの席におられたので、終わってからごあいさつをしたところ、自治会長だった藤島さんのこともよく知っておられました。診療所にさだまさしさんが急に訪れたという話をされていましたが、私にも「是非診療所に来てください」と言ってくださいました。

第2部はさだまさしさんが被災地のお話と共に数曲歌われました。さださんは数億円の借金があった話は有名ですが、阪神大震災の時は借金の返済に必死な時で、なにも出来なかった無念さがあって、今回の震災の時は、最初のうちは手弁当で、ひとりで行っていたというお話をされていました。自分は決して善人とは言えないけど、なにもしない善人よりも、偽善と思われようが、人を助けようと行動する悪人の方がいい、というような内容の話をして笑わせていました。

そんなこんなで、また気仙沼の大島に行くことになって、南相馬にも行けることになりました。すごく嬉しいです!

ボタン

2018年3月8日(木)

松永伍一文学詩碑除幕式×ミニコンサート

当日のポスターと新聞記事 

3月3日、詩人松永伍一没後10年にあたり、郷土大木町(福岡県)に文学詩碑が建立されました。

私は松永先生には生前いろいろとお世話になっておりました。今私の支援の会の代表、事務局を担ってくださっている山浦さん、近藤さんは、松永先生が郷土の花宗中学の先生をされていた時の教え子の方達です。そして、記念詩碑建立の実行委員長の鳥取英紀さんは、私が気仙沼や南相馬に慰問コンサートに行った時に同行して下さった方です。そのような関係から、除幕式の時には、記念碑の前で、松永先生がとても気に入ってくださっていた「あじさい」を私が歌うことにしたらどうかというお話が持ちあがりました。そうしているうちに生前大変可愛がっておられた歌手の松原健之さんも歌って下さるということになり、それならばホールを使ってちゃんとしたコンサートにしようということになりました。そのような経緯から、掲載のポスターの内容のコンサートが実施されることになり、3月2、3、4日と九州に行ってきました。

除幕式当日の天気予報は雨ということで心配されましたが、式の間は降ることなく、終わったとたんに雨が降り出したので、みんな松永先生が守ってくれたに違いないと口々に言っていました。それに、とても寒くて、1時間も外に座って、その30分後に私がコンサートで歌うことになっていたので、鼻と喉の調子が悪かった私はすごく心配でしたが、後半になってきたら鼻と喉が急にすっきりしてきて、コンサート本番は本来の声で歌うことが出来ました。そしてリハーサルで不安があった曲も全くミスなく完全なステージを務めることが出来たことは、私も松永先生が守ってくださったという思いでいっぱいでした。

私の役割として、松永先生が文学界で如何に偉大な存在であったかということを、地元の皆さまに伝えるということがありましたので、25分の持ち時間の中で、お話と歌の構成を充分に考えて臨みました。

まずは文学に造詣の深い人々にとって、「松永伍一」とは雲の上の存在であったこと。それから、そんな松永先生が私のコンサートを衣装から全部プロデュースしてみたいとおっしゃってくださったことの「私の誇り」、この2点は絶対に言い忘れてはいけないと頭に叩き込みました。

除幕式(上)と歌碑(下)

先生のプロデュースはいろんな事情で実現しませんでしたが、その後もコンサートのアドバイスはいろいろいただきました。「〈皆さまこんにちは、枝璃貴子です〉とか、〈今日はお忙しいなかをありがとうございました〉とか、普通の挨拶をしてはいけない。冒頭から詩人らしく話しなさい」とか言われましたが、ついに出来ませんでした。先生ごめんなさい。

1曲目は松永先生がいつも誉めてくださって、「命が作らせたんですよ」と言って下さった「あじさい」を歌いました。そして私のコンサートに何度もゲストとして出演してくださっていた頃、「こもりうた」という先生の詩にメロディーをつけて歌ってみるように言われて、四苦八苦して作った思い出があります。それが不思議なことに、そのときの譜面が、先生の遺品の中から出てきたということで、近藤さんが私に送ってくださっていたのですが、今見てみると、不満な箇所がいろいろあって、手直ししてみたらとてもいい曲になったのです。あの当時力不足だったのは残念ですが、きっと先生が聴いていてくださると信じて歌いました。とても拍手が大きかったです。


ミニライブで歌とお話


松原健之さん

それから、先生が初めて私のオリジナル曲を聴いて、すごく面白いと誉めてくださった思い出の曲「主婦のロックンロール」を歌い、最後に私が今ソングセラピストとしての道を見つけるきっかけとなった、東日本大震災の被災地でいつも皆さんと一緒に歌ってきた「時代を越えて」で締めくくりました。オリジナル曲はたった3曲しか歌っていないのに、あとで皆さんから、「これからの生き方について勇気をもらえた」というような感想をいただくことができたことは、私自身驚いています。

私の次に、松永先生と同郷でしかも東京でもご近所に住まわれていた詩人の江島その美さんが、思い出を語るコーナーがあり、そのあと松原健之さんが登場して、松永先生の詩で「ブルースカイ」、五木寛之先生作詩の曲など、数曲歌われました。健之さんがデビューされた頃は、私が先生の「こもりうた」を作曲したりしていた時期にあたります。すごく特別の声をもっている人だからライブを聴いてみて、と言われて聴きに行っているので、私の方は健之さんを知っていました。でも健之さんは私を覚えていないだろうと思っていましたが、リハーサルの時に「10年前と全然声が変わっていませんね」と言って下さったので、どうして知っているんだろう?と思ったら、松永先生がテープで私の歌を聴かせて下さったとのことでした。

健之さんはNHKの歌謡番組や、のど自慢のゲストとして出演されていますから、全国にファンがたくさんおられます。とても優しい方です。


前列左から、江島その美さん 鳥取英紀さん 伊藤典雄さん 枝璃 本田
後列左から、近藤征治さん 編集長の宮崎直子さん 大木町町長の石川潤一さん
近藤さんの弟さんの純久さん

コンサートの前日、翌日と近藤さんの弟さんの車で移動して、大木町の町長さん初め、たくさんの方々とお会いしました。皆さんとてもいい方々で、楽しい時を過ごすことが出来ました。近藤さんの弟さんはいろんな事業をされていて、とても魅力のある方でした。

皆さまほんとにありがとうございました。これも、松永先生のおかげですね。今事務所にポスターを貼って、優しかった松永先生のお顔をいつも眺めています!

ボタン

2018年2月24日(土)

「枝璃貴子のボランティア活動を支援する会」の終了について

東日本大震災が起きた時に、私が被災地で慰問コンサートをしたいという思いを叶えるために発足していただいた「枝璃貴子のボランティア活動を支援する会」が今回で終了するになり、会員の皆様には会計報告と共にそのいきさつについての文面と私のご挨拶文を添えて発送されました。そして、その原点になった「東日本大震災チャリティーコンサート・届けたい思い」のDVDも、会員の皆様へのお礼の気持として感謝を持ってお送りいたしました。このような会を立ち上げて代表を務めてくださった山浦さん、大変な事務を一手に引き受けてくださった近藤さん、いろいろと協力して下さった皆さま、本当にありがとうございました。

今回で終了しようと思った理由は大きく分けて2つあります。ひとつは被災地の方の状況が大きく変わり、これまでどおりの活動が難しくなったこと、もうひとつは、思いがけない展開として、秩父に「おんがくの郷」という拠点作りに取り組むことになったことです。「おんがくの郷」とは、いろんなストレスを抱えた人々が癒しを得られるような活動を、音楽に限らず、カウンセリング、あるいは畑など自然に親しみ収穫した食物を食すること、その他の芸術にも触れるなど、いろんなことをみんなで協力し合って、喜びを持って生きていけるような場所にすることです。

今のところ、スペースはあるのですが、なにしろ「古民家」とまではいかなくてもそれに近い状況で、いろんな手直しなどが必要なことがわかってきました。
被災地に行きたいと思った気持も、みんなが喜びを持って生きていけるようにしたいという気持ちも、根っこの部分は同じです。

そのようなわけで、これまでのボランティアだけに限った支援ではなく、私の活動をもう少し拡大させたご支援をいただくことができたらと願って、形を変えた支援の会に移行させていただくことを考えています。 ご負担の面ではこれまでと変わりなくできると思っております。

これからは、秩父の拠点を詳しく写真などでご紹介しながら、いろんな状況をお知らせしていきたいと思います。皆さま、これからもどうぞ宜しく応援の程お願い致します。

ボタン

2018年2月11日(月)

2月4日「DVD鑑賞」&「歌と写真」のコラボレーション実施

WEB日記、1ヶ月以上も間が空いてしまいました。これからはこんなことがないように月2回位のペースは守るようにしたいと思います。

どうしてこんなに書けなかったか、いい訳をしなければなりません。前回に書きました、2月4日の「DVD鑑賞」&「歌と写真」のコラボレーションの準備がとんでもなく大変な作業になってしまいました。最初は「DVD鑑賞会」というつもりだったので、呑気に構えていましたが、1月4日に写真家の久野さんとの打ち合わせから急きょ4曲、写真とのコラボをするということに切り替わったので、あわててチラシの発注から始まって、400枚程の写真の中から、4曲に合うものを選び出し、1曲20〜30枚位で割り振りました。

それはパソコンからの写真の選定なので、作業が複雑すぎてすごく時間がかかりました。ようやく1週間前に選定ができて、三納さんに繋げていただきました。写真の切り替えは、何秒ごとに自動的に切り替えるのではなく、歌のフレーズに合わせ手動にしていただくように頼み込んだ結果、本田が歌に合わせて切り替え作業をすることになりました。本田がわかるような譜面作りも手間がかかりましたが、本番はなんとか、そんなに歌と写真がずれるようなことがなく出来たらしいです。


大勢のお客様にご挨拶する私(左)と「写真と音楽の融合」について語られた久野さん(右)

単なる音楽+映像ではない、プラスアルファの別の次元が加わった広がり、に感動しました」という大変嬉しいご感想もいただきました。でも、音楽寄りの人と写真寄りの人では、感想に違いがあるということもわかりました。

ビデオ鑑賞の方は時間の関係で、三納さんから1時間位のダイジェスト版を作っていただき、私もお客さまと一緒に鑑賞しました。大画面なので映画を見ているようで、自分のコンサートでありながらとても良かったと思います。皆さんの反応も、ユーモアのあるところではちょっと笑っていただいたり、涙していただいたりで、嬉しい経験をすることが出来ました。残念だったのは、竹井さんの尺八とのコラボで歌った「荒城の月」や、自分なりによく歌えていた「つる」などをカットせざるを得なかったことです。


カッチーニの「アヴェ・マリア」枝璃一番お気に入りのシーンです

カッチーニの「アヴェ・マリア」では、氷のように閉ざされた心が祈りによって、滝のように溢れだす瞬間を画像と共に表現した渾身の思いを写真が捉えていました。枝璃一番お気に入りの一枚です。

久野さんがたくさんお客様を動員して下さり、私の方のお客様は何人もお断りすることになってしまい申し訳ないことでした。

そして、こんなドタバタな準備に対応してくださった、三納さん、本田さん、当日も大変な事態に協力をしてくださったスタッフの皆さん、本当にありがとうございました!

ボタン

2018年1月1日(日)

おんがくの郷

新年のご挨拶

新しい年を迎え、皆様どんなお正月を過ごされたでしょうか。

もう「明けましておめでとうございます」のご挨拶はできない時期になってしまいましたので、「寒中お見舞い申し上げます」とご挨拶させていただきます。

引越し作業が長引いていまして、秩父と、新しい吉祥寺の事務所を1週間おきの割合で行き来しています。

秩父の方は12月26日にドコモの工事が終わりましたが、秩父ではまだパソコンが使えない状況にあって、いろんな作業が遅れがちになってしまっています。

30日、最終的に吉祥寺にある荷物を運ぶ作業が終わりました。退院した竹内さんが運搬と、秩父の片づけ作業を手伝ってくださって、ほんとに助かりました。そんなわけで、大晦日は秩父で過ごしたわけですが、思いがけない経験をしました。

「まさに見たとおりの北斗七星」

テレビで「ゆく年くる年」を見ている時、除夜の鐘が聞こえるのではないかと思った瞬間、花火の音があちこちであがったのです。寒いのも忘れ、すぐに外に出てみると、家は高台になっていて、花火は下の方で上がっていて見えませんでしたが、1回だけ見えました。その分、空は間近に見えて、北斗七星がすごく大きく見ることが出来ました。曇りだったので他の星はあまり出ていなくて、北斗七星だけがクローズアップされて見えたので、「ああ、秩父にきたんだな」という感動を初めて味わいました。

ご近所へのご挨拶も暮れにようやく済ませることが出来ました。隣組というのがあって、10軒回りました。

やはり、東京とは大分違って、チャイムなどはほとんどなく、鍵も普段はかけていない感じで、「ごめんください」と声をかけるようでした。いろんな事で昔のなつかしさを感じることが多いです。

1月4日に、2月4日の「DVD鑑賞会と歌と写真のコラボレーション」の打ち合わせがあって、3日から吉祥寺に来ています。写真家の久野鎮さんが奥様とご一緒に長野からわざわざ打ち合わせに来てくださいました。そして写真のいろんな作業をしてくださる三納さんも、私にくださるとおっしゃって、タブレットと、以前使っていたMacのパソコンを持って、初めて新事務所に来てくださいました。重いのにほんとに有難いです。これから秩父でMacの使い方を山科さんと一緒に覚えなければなりませんが、慣れればずっと使いやすいとのことです。翌日の5日が三納さんの誕生日ということで、夕方から5人で本田の馴染みのお店に行き、誕生日前夜祭をしました。

打ち合わせの時、久野さんが400枚程の写真のデータを持ってきてくださいました。そのことについては次回ご紹介いたします。

それでは皆さま、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

ボタン