2017年12月30日(土)

盛和塾埼玉と大曾根商事さんでミニコンサート

12月13日に盛和塾埼玉の忘年会の冒頭で30分のミニコンサートをさせていただきました。盛和塾とは以前のWEB日記にも書きましたが、稲盛会長さんが各地に作られている、社長さん達が所属されている会です。

私が秩父に行くということになった時に近藤さんの関係のボウミック順子さんが、盛和塾埼玉の会長さんである若尾社長さんを紹介してくださり、その若尾社長さんがコンサートを提案してくださって実現しました。

大宮のレストランを借り切って開催されましたが、35人位出席されました。音楽を取り入れるのは初めてと伺っていましたので、どういうことになるかとちょっと心配していましたが、30分間皆さま真剣に聴いてくださって、内容的にも大変評価をしていただくことが出来ました。

その時に若尾社長さんが、「うちの会社の望年会でもコンサートをしてもらおうかな」とおっしゃって、昨日28日に「大曾根商事望年会」でミニコンサートをさせていただきました。「忘」ではなく、「望」であるところに前向きさが感じられて、私も「1年間ご苦労さまでした。来年は尚一層元気にお仕事が出来ますように、弾みになるコンサートになればいいと思います」とご挨拶しました。

大曾根商事さんは、フリーズドライをベースに健康食品などを作っておられる会社で、大変ご縁があって驚くばかりですが、新たに新築された本社工場が、私たちの拠点から徒歩15分位の所にあるのです。

望年会は「農園ホテルで」開催されました。小さなお子さんたちも来られるということでしたので、盛和塾の時の真剣な内容ではなく、親しみやすい内容にしました。ホテルの会場に入って行くと、びっくり!

ステージの上の横断幕に大きな字で枝璃貴子コンサートと望年会と書いてあったのです。あくまで望年会の添え役としての30分コンサートという認識で行ったので、驚いてしまいました。

ミニコンサート
花束をいただいて
イントロあてクイズの様子

小さなお子さんたちも入れて50人位出席されました。若尾社長さんは受付の所に立って、社員ひとりひとりに声をかけておられました。社員の皆さんは若い方が多く、男女ほぼ同数くらいで、ファミリー的な会社の雰囲気が伝わってきました。コンサート後のゲーム等にも参加させていただき楽しく過ごさせていただきました。

コンサートは小さなお子さんたちも静かに聴いてくれて、後で何人かの方達が「心に響きました」とか「心のダイアモンド」が良かったです、とか声をかけていただき、ホッとしました。

秩父に引っ越したばかりで、こんな素晴らしい会社に出会うことが出来て、ほんとに嬉しく思います。

まだ、引っ越し作業が続いていますが、秩父で夢の実現に向けて頑張って行きたいと思いますので、来年もどうぞよろしくお願い致します。

皆さま良いお年をお迎えください。

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2017年12月21日(木)

第33回「気のいい仲間たち」無事終了

引っ越しが難航する中、不安をもって迎えた「枝璃貴子と気のいい仲間たち」も、いつもと同じ雰囲気で無事終えることが出来ました。演奏内容は、門下生のみなさんも、ゲストの皆さんもそれぞれレベルアップしていることが今回、特に感じることが出来た会でした。みんな頑張っているんだな、と嬉しかったです。


ご挨拶


ミニライブ

合唱奏の時には、いつものシング・ジョイの皆さんの他に、ヨーガの仲間で、合唱をしている女性3人も初出場してくれました。それから、私がこれから埼玉県民になるということで、埼玉ギター協会の幹部で兄妹弟子でもある、すずきたけおさんが駆けつけてくれて、飛び入り出演をしてくれました。


(当日のアルバムはこちらをご覧ください)

私は、3日後に盛和塾の忘年会の冒頭で30分位のミニコンサートを控えていたので、そのリハーサル的にプログラムの内容を大幅に変えて演奏しました。こんなことが平気に出来て、皆さんもどうということも無く、普通に受け入れてくれる、そんな会なんですね。「気のいい仲間たち」は‥‥。
いつものように、三納さんがたくさん写真を撮ってくださいました。どうぞそんな雰囲気をごらんください。

引越し状況は、もう今までの吉祥寺本町は完全に明け渡して、秩父はまだ段ボ-ルの山ですが、吉祥寺南町のワンルームは、とにかくレッスンが出来るまでに整いました。今日までに、6日と20日の2回レッスンしました。

当分は1週間おきぐらいに秩父と吉祥寺の二重生活になりそうです。詳しいことは後日お知らせ致します。

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2017年11月29日(火)

引っ越し顛末記

WEB日記も1ヶ月以上のご無沙汰になってしまいました。

11月は引っ越しで大変なことになりそうだと書いた記憶がありますが、それはそれは想像を絶する大変さになりました。11月5日に引っ越しということになっていましたが、なにしろ本田も私も忙しくて、引っ越し荷物をまとめることが全然間に合わず、せっかく引越し屋さんを頼んでも、半分くらいしか運ぶことが出来ませんでした。それで、19日に再度引越し屋さんに頼んで、2度目の引っ越しをしました。秩父と吉祥寺を何度も行ったり来たりでしたが、役割的には吉祥寺で本田が荷物作り、私が秩父で受け取るほうでした。ところが秩父はとても寒く、電気の容量が少なかったので、暖房をつけていると、ドライヤーを使っただけでブレーカーが落ちるので、懐中電灯の置き場を決めて、暗闇の中を手さぐりで探すようなありさまでした。

やはり古い家なので、改良しなければならない事が山積みです。近くに商店もないので、食料を得るにはタクシーを呼んで買い出しに行きました。まあなんというか、文明に取り残された気分も味わいました。でもなんだか、吉祥寺にいるより時間の流れがゆっくりに感じられ、体調は良くなっているようにも思いました。

あとはレッスン用に借りた、今の住まいから近いワンルームに、レッスン室を作るための引っ越しが待っていますので、あとひと頑張りです。

秩父への引っ越しに関しては、門下の竹内正旭さんには何度も車で荷物を運んでもらったり、掃除を手伝ってもらったり大変お世話になりました(写真はこれからの拠点となる秩父の家。手前は竹内さんの愛車)。

そしてそんな中、12月10日の「枝璃貴子と気のいい仲間たち」が近づいてきて、チラシの案内の発送作業や、プログラム作りなど、山科さんに何度も来てもらって手伝ってもらいました。2人とも快く引受けてくれて、ほんとに有難かったです。

秩父は、思いがけないことがたくさんありすぎて、時間や費用が想像以上にかかっていますが、とにかく「セラピーの ( さと ) 」と名付ける拠点作りの夢に向かって頑張ろうと思います。皆さん、なにかとご支援の程、よろしくお願い致します。

それから「枝璃貴子と気のいい仲間たち」、はたしてお客様が集まるか目途もつかない状況で、不安に思っています。是非皆さま、お知り合いの方々にお声かけをして頂けると助かります。

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2017年10月23日(月)

熊本で「歌とお話の会」

10月17日熊本の益城町テクノ仮設団地の「みんなの家」で「歌とお話の会」を実施してきました。

9月18日のWEB日記「熊本の被災地で打ち合わせ」でそれまでの経緯を書いています。

今回は、九州出身の山浦さんと、本田と私の3人で16日羽田を出発しました。ホテルは空港からタクシーで近いところだったので、体力的負担は少ないので助かりました。この度の益城町テクノ仮設団地でのセラピーライブの実現にいろいろと手配をしてくださった近藤さんの関係で、17日のライブには、元熊本日日新聞の中村さん、松永伍一先生の記念館作りをされている鳥取さん、それから初めてお目にかかる獣医さんで、インドの恵まれない子供たちの学校づくりに長年携わっておられる富安先生たちが来られることになっていました。そして、南相馬や気仙沼にも同行したウクレレの池上さんも参加してくれるということで、山浦さんと池上さんは1曲づつ特別参加してもらうようにしました。

上左:みんなの家 上右:「歌とお話の会」 中左:山浦さん弾き語り 
下左:懇親会でみなさんと記念写真  下右:池上さんウクレレ弾き語り

翌日ホテルをチェックアウトして「みんなの家」に11時頃から待機していました。富安先生、鳥取さん達も早くから到着されて、ごあいさつやらをしながら、1:00開場なので、山浦さん、池上さんと共に発声練習やリハーサルなどをしていました。一番心配なのは、自治会長代表の吉村静代さんひとりにポスターチラシを送っただけなので、はたして何人くらい集まるかということでした。本田さんの話によると、気仙沼の時と同じように、あまりにも音楽などのイベントがたくさん来すぎていて、チラシを配っていてもそういうことに嫌気がさしている様子だったそうです。事実、私たちが「みんなの家」に待機していた2〜3時間の間に、歌手の営業らしき人たちが3組も訪れていました。それなので、私のように営業ではなくソングセラピストとしてお役に立ちたいということであっても、チラシを見ただけでは区別がつかないのは当然のことだと思います。私もそれは分かっているので、最初は吉村さんの関係者が10人位でも集まっていただければいいと考えていました。聴いていただけば,今まで聴いたことがないセラピーライブであることがわかっていただけることを、これまでの経験でわかっていますから。

実際ライブが始まってみると、大体想定内の人数での「歌とお話の会」になりました。興味を持って集まってくださった方たちなので、私のお話にも皆さんうなずきながら、歌も良く理解して共感して下さっている感じが伝わってきて、私自身もとてもリラックスして進めることができました。山浦さん、池上さんの特別参加の後は、いつものように「時代を越えて」を皆さんに覚えていただき、みんなで歌って盛り上って終了しました。

終了後は別の集会場に集まって、お茶や、珍しいお菓子などをいただきながら、懇親会になりました。

やはり、熊本の皆さんは、家が全壊して1年半も仮設暮らしをされているにもかかわらず、そんなことを全然感じさせない明るさで接して下さいました。また来てください、とも言っていただき、とても嬉しい気持ちを持って帰ってくることが出来ました。

また、鳥取さんの関係で3月には福岡県に行くことの打ち合わせもさせていただき、その折には富安先生の関係で、古民家でミニコンサートをというお話もいただいたりして、これからはなにかと九州にいくことが多くなるかもしれません。たくさんの新しい出会いが出来たことに感謝です。

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2017年10月6日 (金)

「東日本大震災支援チャリティーコンサート」のDVD

9月1日のWEB日記「写真展からの拡がり」の最後の方に書きましたが、2011年6月10日に開催した、「東日本大震災支援チャリティーコンサート」のDVDのデータが出来上がり、今制作中で、13日頃に出来上がって来ることになっています。それについては、当時ビデオは撮っていたものの、編集が上手く出来る人がいなかったために、音量が弱かったり、いろいろ問題が多く、きちんとしたDVDを作ることが出来ませんでした。それを今回、三納さんがビデオを観てとても素晴らしいコンサートだと感心して下さって、熱い思いを持って全面的に編集し直してくださいました。ほんとに素晴らしいDVDになり、感謝の思いでいっぱいです。

異例のことですが、DVDの裏表紙に私のあいさつ文を載せています。

「東日本大震災支援チャリティーコンサート」DVD制作にあたり

先日、ある団体(中高生が中心)から私のDVD観賞会をして下さるというお話をいただき、どのDVDがいいかと探している時に、記録用に残してあった6年前の「東日本大震災支援チャリティーコンサート・今だから届けたい思い」のビデオを見つけ、久しぶりに観たところ、自分でも驚くくらい、いい内容のコンサートをしていたことを発見しました。

震災直後、日本人皆がなんとかして日本を復興させなければいけないという思いをひとつにしていた時期でもあり、会場の皆さんと私の思いがひとつになっていて、尺八、キーボード、パーカッションによるゲストのみなさんとのコラボも音楽的な拡がりを創り上げ、メッセージを盛り上げています。

今、そのような思いが希薄になっている時だからこそ、このDVDを観ていただく価値があるのではないかと思い、また、個人的には私がソングセラピストになる原点であったことを、あらためて知ることができたこのビデオは、私がこの世に残す一番貴重な財産であると感じています。

この度、三納吉ニさんに再編集を引き受けていただいたところ、この思いを受けて、見違えるような内容のDVDにしてくださいました。

ビデオを撮ってくださったのは「ニュースステーション」や、ドキュメンタリー番組などを撮り続けてこられたカメラマンの故城尾尚裕さんです。感謝とともに城尾さんを偲び、このDVDを捧げたいと思います。

そんな思いのこもったDVDを「今だからこそ」沢山の方々に観ていただきたい思いで一杯です。

2017 年9 月17 日 枝璃貴子

これは、ソングセラピストになる原点であることから、支援の会代表の山浦さんもとてもいいと言って下さって、支援の会で協力していただくことになりました。

ただ、制作する作業に入ってみると、いろんな思いがけないことがあって、最初は300枚作って、たくさんの方に配布する予定でいましたが、予算があまりにもオーバーすることがわかり、100枚にしました。

(クリック⇒拡大PDF)

その要因のひとつが、85分かかるので2枚組にしなければならず、制作代が2倍になるので、60分に短縮しようと試みました。ところがどう工夫してみても5曲も減らさなければならなくなり、感動が伝わらなくなるので短縮するのはやめました。

それから著作権料が、映像を伴うとコンサートやCDよりもずっと高いということがわかりました。そんなこんなで、ようやく完成に漕ぎつけたところです。

こんな時代だからこそ、多くの人に観ていただきたいと思う内容なので、DVD観賞会のようなことも考えているところです。

10月は大変になると覚悟していましたが、ほんとに大変な状況になってきました。16日、17日は熊本に行って、「歌とお話の会」をしてきます。10月22日は毎年恒例の「竹の子文化祭」に「円むすび」改め、「TUNE」が参加するので、リハーサルなどもあります。

それよりなんといっても一番大変なのは、11月3日に秩父への引っ越しが決まっているので、その合間に引っ越し準備をしなければなりません。とにかく、精神と身体の調子を崩さないように、ゆったりした気分で頑張ろうと思っています。

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2017年9月18日 (月)

熊本の被災地で打ち合わせ

9月3日セラピーライブの打ち合わせのため、昨年の熊本地震において一番規模の大きな仮設住宅である、益城町テクノ仮設団地に行ってきました。ここに至る経緯は、支援の会の近藤征治さんが6月に故郷の福岡県で絵画の個展を開催された折に、中学の同級生の中村道夫さん(元、熊本日日新聞社)に私の話をしてくださって、中村さんのご紹介で実現することになりました。

テクノ仮設団地は500戸以上あり、6区画に分かれ、それぞれに自治会が組織されています。今も1,000人以上の方々が住んでおられるそうです。その6区画の自治会の代表である吉村静代さんをご紹介いただき、セラピーライブをするための日時や場所を決定するために吉村さんを訪ねて行きました。

飛行機でお昼頃に熊本に到着しました。熊本空港からのバスに乗ると、テクノ団地というバス停がありました。

吉村さんと集会場でお会いして、いろいろなお話を伺いました。吉村さんは震災前から益城大好きプロジェクト・きままにの代表をされていて、全国的に活躍されている方でした。東北の被災地も訪れたそうです。

熊本の場合は、津波や原発の被害にあった東北とは違って、家は全壊しても田畑はそのままあるので、仮設に住んでおられる方達は日中はそちらでお仕事をされている方が多いそうです。熊本県人の気質もあるかもしれませんが、そんなに悲壮的ではない、ともおっしゃっていました。仮設の通りを歩いている時に出会う人たちも気さくに話かけて下さって、確かに東北とは違うと感じました。それなので、セラピーライブはこんな感じの会にしましょうか?と私が提案した内容で、快く了解していただきました。

そして、会場を案内していただくと、とても素敵なみんなの家という建物(写真下)があって、これは岡野道子さん設計のプロジェクトで話題になった建物でした。打ち合わせの時に音響設備をどうするかという話になりましたが、私がアカペラで「江戸の子守唄」を歌ってみると、木造なのでとても良く響いて、マイクなしの方がいいということになりました。

日時は10月17日1:30分開演と決まりました。きのうポスター・チラシが出来てきましたが、折しも九州が台風18号の見舞われていて、こんな時チラシを送るのもどうかと思い、明日あたり発送しようと思っています。

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ところで、帰りの飛行機で思わぬアクシデントがあり、大変でした。着陸近くなった時に耳に異変が起きて、最初は刺すような痛みだったのですが、次第にドリルでかきまわされるような激痛になって、どうなることかと思いました。飛行機は何度も乗っていますが初めてのことでした。3日間位は耳もおかしいし、立ちあがると気持ちが悪くなるので家にいました。ネットで、「飛行機で耳に激痛」で検索すると、「飛行機で鼓膜が破れる」と出たので、てっきりそれだと思って、周りの人たちに「鼓膜が破れた」と言ったらみなさん吃驚りしていました。ようやく4日後にかかりつけの内科に行ってその話をすると、鼓膜を見てくれて、「航空性中耳炎で鼓膜は破れてないよ」と言われました。抗生物質やめまいなどの薬をどっさりいただいて、おかげで今はすっかり良くなりました。

飛行機の日帰りは体力的に無理があったかもしれません。10月に行く時は、よく対策を考えて行こうと思っています。

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2017年9月1日 (金)

写真展からの拡がり

最初に 池上 ( いけのうえ ) 眞平さんの写真を観に写真展を訪れたのは3月26日のことでした。池上さんは、故郷の岡山の空き家になっているご実家をアーティストたちの拠点として改造された方なので、これから秩父に拠点作りをする私たちの参考になるのではないかということで、三納さんが池上さんを紹介してくださったのです。初めてお会いした池上さんはとても親しみやすい笑顔で迎えてくださいました。

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池上さんの写真は樹氷の写真(上左)で、一目観てストンと私の中に入ってくるものを感じました。厳しい寒さの中に、小さな芽が姿を現している部分を嬉しそうに教えてくださって、私と似ているマインドをお持ちの方なんだなと思いました。その後にいただいたメールで、「葦かびの萌えいずるごとく」という本を読むように薦めていただきました。WEBで池上さんのことを検索すると、多方面でご活躍されておられる方で、ここで説明するのは難しいので省略させていただきますが、その中で関心を持ったのは、「はじめ塾」という80年以上もの歴史を持つ寄宿生活塾に関わっておられるということでした。いろいろな事情をもつ中高生が対象のようです。「葦かびの萌えいずるごとく」は、著者の和田重正さんがその子供さんたちに語りかけている「いのちの教育」のような内容の本でした。それを読んでいると、私自身が落ち込んでいる時にも、気を取り直すことが出来るような本です。

そして先日、池上さんから(今年)2回目の写真展のご案内をいただいたので、銀座の富士フォトギャラリーに行ってきました。今回は緑の木々の写真(上⇒)で、やはり一目でスーッと私の中に入ってくる写真でした。

池上さんがこちらも是非観てくださいと勧められたので、同時開催されていた写真家の久野鎮さんの「心象創幻個展」を観ていると、本人の久野さんがおられるということで、その場で紹介して下さいました。久野さんは、私の簡単な自己紹介を聞いただけで、すごく興味と理解を示してくださって、私のCDを会場でかけましょうとおっしゃってくださいました。

18日に伺ったのですが、宅急便で送ることになりました。届いた20日から最終日の24日までずっとかけてくださったそうです。写真集「心象創幻写術集」も頂戴しましたが、とても芸術的な写真です。写真展は大盛況で、3,000人近いお客様が来場されて閉幕。富士フォトギャラリー始まって以来3番目だったとのことです。

(クリック⇒拡大PDF)

久野さんからはメールで「開催中、枝璃さんの心静かに心深く絞り出すような魂が会場を包んで不思議な世界観でした」とのお言葉をいただきました。かえってお邪魔になるのではないかと心配していたのでほんとによかったです。ジャンルは違っても同じ方向性であると書いていただき、嬉しくなって、私の出来たばかりの歌詞「時は‥‥ 」を添付いたしましたところ、それに合う素晴らしい写真画像をたくさん送ってくださいました。これにつきましては、今簡単に取り扱うべきではないので、後日いい形でご披露させていただきたいと思っております。

 それから、大変嬉しいことに、池上さんが「はじめ塾」のみなさんに私のDVDの観賞会をしてくださることになりました。どのDVDにしようかとあれこれみているうちに、2011年の「東日本大震災支援チャリティーコンサート・今だから届けたい思い」の記録が目にとまりました。改めて見てみると、すごくいい事を語っていて、音楽的にも価値が高いと我ながら驚いて、これならきっと子供さんたちの心に響くのではないかと思ったので、新たにDVDを作ることにしようと三納さんにお願いしているところです。

そしていつか、これを機会に「はじめ塾」の子供達とお会いできることを願っています。

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2017年8月20日 (日)

門下生発表会

8月6日、昨年に続いて門下生だけの会として2回目の「枝璃貴子門下生発表会&懇親会」を実施しました。3年前までは「枝璃貴子と気のいい仲間たち」を夏と冬の2回開催して、その中に門下生も出演する形をとってきました。2年前からあまりに準備が大変なので、冬だけにしたところ、年に1回では門下生の方達がすごく緊張していることを感じて、昨年から門下生だけの会を持って、度胸をつけることにしました。

最初に、私を含めて8人で合奏唱「旅人よ」と「黒の舟歌」を演奏しました。今回は女性2人と男性6人の割合で、声量のある男性が多かったので、加山雄三の「旅人よ」は合唱奏の指導を始めて以来、最高の素晴らしい歌声となり、嬉しいかぎりでした。

独奏では、トップバッターはあと3年で90歳という長谷川英子さんの「ゆうやけこやけ」、2番松沼幸平さん「おまえに」、3番本田育子さん「PURIDE」、4番山浦幸雄さん「愛しき日々」、5番所沢弘さん「星に祈りを」、6番板谷美さん「石狩挽歌」、7番竹内正旭さん「雪の華」、8番山科正弘さん「地上の星」の順で演奏しました。8人それぞれが持ち味を生かして、それぞれが全く違う個性を発揮しました。このまま精進してレベルを上げていけば、お客様を呼べる門下生発表会に発展していけるのではないかと思います。

最後に私が4曲演奏をして、それから懇親会に移りました。お客様は呼んでいなくて、聴きに来ていたのは親しい仲間だけでしたので、話題はそれぞれの演奏を聴いて刺激し合えた、研究会のような感じになりました。私の経験から言っても、やはり練習はうそをつかない、ということがはっきり表れた会でもあったと思います。間違えないで無難に出来ればいいというものではありません。ひとつの曲に時間をかけて練習を続けてきた人は、たとえミスがあっても、その曲が本人の中に入り込んでいて、意識しなくてもそれなりの表現が出てきていたと思います。

スポーツや芸術の世界でも、早くから天才的な才能があった人が長く一流でいられるかというと、そういうわけでもありませんよね。最初はあまり目立つ存在でなかった人が一流になったという人の方が多いような気がします。それはやはり、どれだけ努力をしたかということに繋がっていると思います。

ちなみに、努力をすることが辛いと思いますか?私はそうは思いません。何も努力をすることがない方がむしろ辛いです。努力をしている時が、生きていることを実感できる時ではありませんか!

門下生の皆さん、これからも精進に励みましょう!

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2017年8月2日 (水)

えんがわ落合

WEB日記の更新がだいぶ遅れてしまいました。このところ毎日予定が入っていて、休日がない状況が続いています。基本的にぐうたらしてるのが好きな私にとっては辛いところです。

昨年4月のコンサートを境に、ソングセラピストとして活動していくことにして、複数の種を蒔いてきましたが、ここに来てそれらが複合的に動き出してきているのです。熊本地震の被災地に行くことが決まったり、他にも協力的な意思を示して下さる方々が出てきています。なかなかソングセラピーの活動を理解していただくことは難しいと感じていたので、嬉しいことです。

ベンチャー・ビジネスの専門家であるサポーターの方から、セラピーの種蒔きの成果について、元気の出るメールをいただきました。

セラピーの種蒔きの成果が出始めているとの事、
何よりです。

ベンチャー・ビジネス*1展開の観点から見ても、
このフェーズ*2が、一番難しく、理解できる人も
非常に少ないのが現実です。
 このフェーズをシード・フェーズ(種蒔きフェーズ)
と呼んでおります。

このフェーズの理解者は、先見性があり、本質を見極める
ことのできる人です。

新しい概念開発への挑戦、頑張って下さい。

(註:*1ベンチャー・ビジネス=リスクを覚悟しつつも、冒険心を持って挑戦する事業   *2フェーズ=局面、段階、物事のありさま)

皆さん「認知症カフェ」というのをご存知ですか?実は私も知らなかったのですが、認知症になっても安心して暮らせるまちづくりを目指して、認知症の方と家族、地域の方々、専門職など、誰もが参加でき、集う場として「認知症カフェ」というものが各地に出来ているようです。もともとはイギリスやオランダなど海外で始まったものだそうです。

私がシンガーソングライターとしてコンサート活動を始めた当時から、コンサートに来てくださっているNさんから、落合に1年程前から「えんがわ落合」が出来ているということを教えていただきました。紹介していただいた代表者のKさんから、そこで月1回コンサートをしているので一度観に来てみませんか、というお誘いを受けて、6月2日に行ってきました。抱いていたイメージは喫茶店のような場所と思っていたのですが、

そうではなく、リハビリや運動施設などがある大きなビルの中にある多目的ホールでした。その日はマリンバ奏者の方が、木琴,鉄琴を使って、演奏や、皆さんで一緒に歌うという催しをされていました。その時に、代表のKさんとお話したり、連絡係をしてくださったMさんとお話しすることが出来ました。Mさんが吉祥寺で知人が飲食店をしているということで、後日一緒にいかがですか、と誘っていただきました。出来れば何人かで食事が出来た方がいいということになって、皆さんの予定を調整して、7月30日7人で一緒にお食事をしました。私の方は、支援の会代表の山浦さんと本田の3人、先方はMさん初め女性が3人と、私を紹介して下さったNさんの4人です。皆さん、新宿区社会福祉協議会を通していろんなボランティア活動をされている方々です。

そこで、私のこれまでの活動の話や、皆さんの活動のお話も伺いました。やはり、そういう活動をされている人は心が通じ合える事が多くて、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。秩父のことにも話が及んで、そこでも何か一緒に出来そうな感じで盛り上りました。

心ある人々が協力し合い輪を広げていくことが、世の中を少しでも良くするために大事なことと、あらためて感じました。

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2017年7月15日 (土)

第3回酒田コンサートを終えて

7月9日第3回酒田コンサートを無事終えることが出来ました。東京では昨年4月に一般向けの自主コンサート(ホールでの)は最後にして、セラピーコンサートを中心に活動していくことを皆様にお伝えしましたが、酒田の方は昨年文化センターのホールが改修工事で使えなくて今年開催になり、酒田の皆さまにもその旨をお話して、これからは違った形で音楽活動をしていくことをお伝えしました。

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30数年前に両親が東京に移ってきてから、ずっと酒田との縁が切れていた私が、同級生たちの尽力によって、3度もコンサートを開催できたことは、私の人生にとって大きな喜びです。

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平成29年6月25日付「荘内日報」

そして今回もこれまでと同じく盛況で、お客様にも大変感動していただくことが出来ました。アンコールの声があちこちからあがり、会場の外まで聞こえたそうです。

庄内日報にも記事を出していただきました。動員するために、一生懸命協力してくれた同級生たち、酒田有煒会の皆さま、友人,親戚の期待に応えられたことに安堵しているところです。コンサート終了後の打ち上げで、みんなで乾杯して楽しいひと時を過ごしました。同級生は、私が頑張って活動していることが誇りだと言ってくれますが、私の方こそ毎回協力してくれた酒田西校3年6組の有志たちが、それぞれに行動的で、頭が良くて、素晴らしい人物になっていることを誇りに思います。私が秩父に拠点を移す計画を話したところ、みんなで秩父に行こうと盛り上っているという報告を受けました。

2次会は、スタッフで「とらさん」という居酒屋さんに行きました。そこは、私の父に西校生の時にギターを習いに来ていたというK子さんのお店です。当時私はボーカルスタジオ主宰のオペラ「椿姫」の練習で学校から帰るとすぐ練習に行く日々を過ごしていたので、お会いした記憶がなかったのですが、1回目の酒田コンサートの時にK子さんから連絡をいただき、それ以来ずっとポスターを貼っていただいたりチケットを売っていただいたりいろいろお世話になっています。それまで立ち寄る時間がなかったのですが、初めてお店に伺うことができました。お父様と息子さんと一緒に営まれていて、とても由緒ある感じのお店でした。お料理も全部とても美味しかったです。

今回のコンサートではこれまで以上にたくさんの方々にご厚意を寄せていただき、身に余る光栄と感じています。この感謝の気持ちを、これから時間をかけて伝えていきたいと思っています。
アンケートもたくさん書いていただき、これからの新しい活動にエールを送っていただきました。今後はセラピーコンサートで酒田に行くようなことがあれば、その機会に小さなライブなどを開いて、皆さんにお会いしたいと考えています。

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2017年7月3日 (月)

今回の都議選について

7月2日の都議選の結果は、大きな意味を持っていることでしょう。自民党が過去最悪の歴史的惨敗に終わりましたね。

前回「魂のレベル?」を書いた時に、本当は自民党の女性議員の暴言問題にも触れて、魂のレベルについて考えようと思ったのですが、酒田のコンサートが近くなっていて、あまり時間の余裕がなかったので書きませんでした。

ハイレベルの経歴を持ち、地位を得ている人々にありがちな、そうでない人を軽視する体質と驕りが今回の数々の自民党議員の問題発言に現れていたと思います。国民の多くは、人間の在り方について日々考えながら生きているので、自民党に「NO!」を突き付けたのではないでしょうか。魂のレベルで考えると、そのような議員より国民の方が上であると言えます。一般庶民を甘く見ていたと思わざるをえません。

何10年も前に、母と一緒に丹波哲郎の「大霊界」の映画を観に行ったことがあります。バスが崖から転落して全員亡くなったところから始まります。人間界と霊界の間に幽界というところがあって、亡くなってすぐは幽界に行きます。そこは自分が死んでいるとはわかっていない段階のようです。そこに一旦みんな一緒にいるのですが、心が綺麗な人から順番に呼ばれて霊界に案内されるという筋書きでした。その中に政治家がいて、いつまでも呼ばれないので怒ってお金を払うと言っても、最後になりました。本当かどうかは死んで見ないとわかりませんが、面白いですね。でも、いろんな文献によると、この世の成功と霊界の評価は違うということは確かなようです。だから、とにかく心が綺麗になるように生きていれば、天国で評価されると思います。

もう酒田のコンサートまで少ししかありません。今日は簡単ではありますが、これにて失礼いたします。

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2017年6月27日(火)

魂のレベル?

6月22日、元アナウンサーの小林麻央さんが亡くなられました。23日テレビで、ニュース速報が流れた時、悲しみを伴った衝撃が走りました。私はこれまで有名人の訃報を知っても、こんなに悲しい感情がわき上がったことはありませんでした。なんといっても可哀そうすぎます。麻央さんは、可哀そうだと思ってほしくないとブログに書いていますし、私自身、子供を亡くした時に可哀そうと思われるのが一番いやだったのでその気持ちはよくわかっているつもりです。それでもやはり、つい3日前まであんなに前向きに笑顔で闘病生活をブログに書いていた様子を情報番組で見ているので、可哀そうと思う気持ちを抑えることはできません。そしてその一方で、なんとあっぱれな人生であったかと、称賛の念が溢れてきます。

最後のブログ「オレンジジュース」

あんなに美しく、あこがれの的であった麻央さんが、がん闘病のブログを開設し、たくさんの自撮りの写真を公開した勇気は計り知れない大きなものであったと思います。それはたくさんの病気の人々への励ましとなり、世界にも広まって、「社会に影響を与えた世界の女性100人」に日本人で初めて選ばれました。

ご主人の市川海老蔵さんが翌日会見をされましたが、「自分より人のことを思いやる」「自分を変えてくれた妻」などのコメントがありました。印象的だったのは「人ではない」と言った後、一瞬間がありましたが、「女神だったと思う」という言葉を呑み込んだように私は感じました。結婚前、結婚直後、海老蔵さんは歌舞伎界の問題児的なことがありましたが、麻央さんが癌であることを発表した時の会見や、ブログの内容が、まるで別人のような素晴らしいもので、こんなにも人って変わるものなのかと驚くばかりでした。亡くなる少し前に、「家で管に繋がれている姿の麻央さんを見てどう思うか」と記者に聞かれた時、「可愛い!」と答えました。魂のレベルで見ているからと‥‥ 。麻央さんはもともと魂のレベルが高い人だったと思います。海老蔵さんは歌舞伎役者としてのレベルは生まれながらにすごく高い存在であったものの、それに加えて、麻央さんと一緒になったことによって心の魂のレベルが一気に高くなったのだと思います。これから歌舞伎役者としてますますご活躍されることでしょう。

 かくいう私も、一番愛した子供を亡くし、一番愛してくれた母を亡くして、人の心の痛みがわかる人間に変わりました。魂のレベルはそれ以前に比べれば格段に上がったと思っています。人は皆、なにか困難に出会うことがあると思います。私はそんな時苦しみの中で、「転んでもただでは起きないぞ」と言い聞かせるのです。それは、お金や物質のことではなく、精神のことです。乗り越えたときに必ず何かを得ることが出来ると信じています。

熊本に行きたいと思っていましたが、この程、近藤さんが九州で個展を開いた折に、その件で尽力して下さり、今年の10月の初旬にセラピーライブが出来るような運びになってきました。また詳しく決まりましたらご報告します。

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2017年6月10日 (土)

超輝いている「高齢者と呼ばれる人々」

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女性報道写真家・笹本恒子さん

先日いつも見ている「ノンストップ」という番組の中で、102歳の日本初の女性報道写真家・笹本恒子さんが紹介されていました。私は「徹子の部屋」に100歳で出演された時も見ているので、存じ上げていましたが、その時と全然お変わりなく、見た眼は80歳くらいの感じで、とても綺麗で素敵でした。100歳の時に「笹本恒子100歳展」を開催、101歳で写真界のアカデミー賞と言われる「ル―シ―賞」を受賞されました。数々の歴史上の貴重な場面や、時代の先端を突き進む女性たちの写真などを撮り続けてこられました。一方ではいつもおしゃれな手作り服を素敵に着こなして、100歳で「ベストドレッサー賞」も受賞しておられます。笹本さんは「山があったら必ず登ってみる。橋があったら必ず渡ってしまう。新しいものに対する挑戦を忘れない」と、にこやかに話しておられました。私はこの言葉に大いに勇気づけられた思いがしました。私自身いろんなものを失って、ゼロからというよりマイナスから再スタートをして以来、このような生き方をしてきたと思えたからです。周囲からは無謀であるとか、いろいろなリスクがあると言われても、とにかく山を登ったし、橋も渡ったつもりです。結果がどうであったかは、まだ今の段階ではわかりません。でも何に対しても、自分で決めて行動したことについては後悔はしていません。

最近ある人から、私のことを300歳まで生きると言われました。なんでですか?ヤメテください。カンベンしてください!

私の周りにも、輝いている「高齢者と呼ばれる人々」はたくさんおられます。WEB日記で紹介させていただいていますが、100歳を迎えられた島田さんのお父様を筆頭に、90歳で現役の琵琶奏者の舩水京子さん、そして確か80代半ば位になられたと思いますが、ハーモニカ奏者の竹内克好さんとかです。それと、私のホームページの作成、イベントのチラシなど全般のデザイン、写真、録画をユーチューブにあげたりして下さっている三納吉二さんは、なんと来年1月5日で80歳になられるそうです!

75歳の山浦さんもサポーター便りを書いてくださったばかりですね。同じく75歳の近藤さんからは、先日故郷の九州で個展を開いて大変な成果を上げられたという報告をいただいています。それについては、ご本人からサポーター便りに書いていただけるといいなと思っています。

それから6月4日、酒田西校の同窓会である「東京有煒会」に出席しました。酒田のコンサートが近いので、酒田からの来賓の方々にコンサート案内と招待券を配らせていただきました。出席されている東京在住の同窓生の方達からも、酒田の知り合いに声をかけてみると言っていただいたりして、とても嬉しい一日となりました。

そのなかで、前副会長をされていた大先輩にあたる斎藤紀子さんが最近写真集を出されて、私が挨拶に行った時、その写真集をくださいました。多分写真を始められたのは70歳代になってからだと思うのですが(違ってたらごめんなさい!)、帰ってから写真集を観てみると、さまざまな自然が映しだされていて、あまりの素晴らしさに圧倒される思いでした。私が、自然保護の歌で「いのち〜未来のために」というオリジナル曲があると言ったら、「コラボするのもいいかもしれない!」とおっしゃっていました。

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斎藤紀子さんの個展の案内
斎藤紀子さんの写真集より
斎藤紀子さんの個展の案内 斎藤紀子さんの写真集より

写真の一部を紹介しましょう。すごくいいなと思った作品は2ページにわたっていて、私のプリンターではスキャンできないので、Ⅰページの作品のなかから好きな写真を選んでみました。明日は個展に足を運んでみるつもりです。

それに私たちの仲間である伊藤公一さんも毎年「日本水彩展」に出展していますが、このところ私は行けないでいたので明日は久しぶりに行ってみます。両方行くので大変です!

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2017年5月25日 (木)

「氷艶2017 破沙羅 ( ばさら ) 」鑑賞

5月20日、「氷艶2017破沙羅」の公演を観に行ってきました。

2020年東京オリンピック・パラリンピック開催決定に伴い、あらためて日本の文化が世界から注目を浴びている中、日本を代表する文化である歌舞伎と、日本がトップレベルを誇るフィギュアスケートによる世界初のコラボレーションが企画されました。

私はたまたま日本テレビの特別番組で、大ファンだった高橋大輔さんが引退後の自身の道を探しているという導入部分に興味を惹かれて見ていたところ、「氷艶2017破沙羅」の紹介だったのです。その企画を託されたのは一昨年ラスベガスのべラ―ジオの噴水を舞台に「鯉つかみ」を公演して大好評を博した市川染五郎さんです。

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当日のパンフレットより (髙橋大輔、市川染五郎、荒川静香)

私は長いこと趣味、娯楽に関わる余裕のない状況が続いてきました。いろいろな困難を乗り越えて生きていくためには、自分の活動を頑張らなくてはいけなかったからです。若い時は「労音」の会員になっていると、いろんなイベントが格安で見ることが出来たので、オペラや大スターのコンサートなどをたくさん観に行っていたのですが‥‥ 。

その番組で、高橋大輔さんが源義経になるリハーサル風景や、ラスベガス公演の時に素晴らしい映像を作り上げた「チームラボ」のデジタルアートの一端を垣間見ているうちに、めずらしく観てみたい気持ちがわき上がってきました。

それで、それほど残り人生も長くはないし、思い切ってひとりで上演会場である代々木競技場、第一体育館まで観に行く決心をしました。その行き帰りの大変さに話が及ぶと長くなるので、それは置いておきましょう。

氷上で、歌舞伎役者さんたちはスケートを履くのかどうかと思っていましたが、市川染五郎さんと、主役級の市川笑也さんはずっとスケート靴を履いていました。他の役者さん達はスパイク付きのブーツのようなものを履いているときが多いようでしたが、それでも皆さん夜中にスケートの特訓を続けていたそうです。

内容は、荒川静香さん扮する女神がファンタジーの世界を作り上げて、善と悪との戦いの物語が展開されるという筋書きで、善の代表の源義経、悪の代表の染五郎さん扮する仁木弾正直則が、時代背景は関係なく、よく歌舞伎で登場する人物たち(石川五右衛門、弁慶など)を率いて戦う、神話なども交えたものです。織田信成さん、浅田舞さん、鈴木明子さん、村上佳菜子さんなどトップスケーターも出演しました。女性陣は歌舞伎のような着物は着ていなかったので自由に滑れる感じでした。

高橋大輔さんは歌舞伎の衣装だったので、とてもスケートの技を披露できるような感じではありませんでしたが、染五郎さんが「高橋大輔さんは役作りをしなくても義経そのものです」とおっしゃっていた通りの魅力のある存在感はありました。荒川静香さんも女神そのものといったオーラを放っていました。チームラボの映像も素晴らしかったと思います。壮大なエンターテイメントでした。

ただ、あらためて気付いたのは、私自身がそういうこととはすっかり対極に来ていて、素晴らしい舞台装置も衣装も、なにもいらなくて、欲しいのは、深い心の充足感だけになっているということでした。感動できるのは必死に戦うスポーツや、人間の心の悲しみや喜びを深く追求した文学作品などです。私の後半の人生は厳しい場面を経験しすぎたのかもしれません。だから一般向けのコンサートを辞めたくなって、ソングセラピストになったのだと思います。

高橋大輔さんは、日本の期待を一身に背負ってオリンピックに行きました。そして見事に期待に応え、日本男子で初めてメダルをとり、日本中の人々に感動をもたらした人です。引退後の心の穴は想像以上のものがあることでしょう。

あのように、自由に滑れない衣装を着て、歌舞伎に挑戦したことは、ほんとのやりたいことを見つけるための一課程にすぎなかったと思うので、これからの活動に期待を込めて注目していきたいと思っています。

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2017年5月7日 (日)

ゴールデンウィーク

今年は大型連休ということで、多くの人たちは旅行やいろんな計画を楽しまれたのではないでしょうか。

その点、私たちのような職業の場合はそのようなことには縁がないわけですが、特にこのゴールデンウィークは一番苦手な作業で忙しくしていました。

4月に「枝璃貴子のわがまま気ままコンサート」をしたことで、4月はなにかと忙しくなってしまい、ある朝、目が覚めてハッと気がつくと、酒田のコンサートの準備をまだしていないのにあと2カ月くらいしかないことに気がつきました。ポスター、チラシ、チケットはもうずっと前に出来上がっていましたが、売るための行動を全然していないのです。頭の中が「グァーーン‥‥ !」となりました。

酒田のコンサートの1回目は、酒田の同級生たちが同窓会「酒田 有煒 ( ゆうい ) 会」の当番幹事にあたった年で、私が音楽のゲストとして呼ばれていました。それに伴い幹事の人たちが中心になって、私のコンサートを開催してくれました。それについては2014年6月27日のWEB日記「故郷はありがたきかな」に詳しく書いています。翌年の2回目は、中心になって販売協力をしてくれた眞理子さんから、1回目と違って、幹事だった人たちが市外に住んでいるため集まったり出来なくて、チケットを売るのが大変だったという実情を聞いていたので、今年はお客さんを300人位集められる見込みはないような気がしていました。それでなくても朝は大抵、悲観的な性格になるので、「もう今となってしまっては無理だ、会場をキャンセルしよう」と思ってしまいました。

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それで、まずは眞理子さんに恐る恐る電話をしてみました。そうすると、けっこう明るい声で、「コミュニティー新聞、山形新聞、マリーン5清水屋、その他、昨年ポスターを貼らせてもらった商店には私が行く。2回コンサートをしているので、前聴いた人たちは、また行くと言ってくれている」と言いました。それを聞いて私も俄然元気になって、「それじゃあ、頑張ろう!」ということになりました。そして、幹事だった人達ひとりひとりに、「協力お願い」の電話をしてみると、みんな「7月9日、もうそのつもりでいるよ!」と言ってくれるではありませんか。後で聞いたところによると、学級委員だった志美さんがみんなに声をかけてくれていたことがわかりました。ほんとに嬉しいことでした。

そして、6月には酒田の同窓会「酒田有煒会」がありますが、前会長さんが2回とも他の行事と重なって来られなかったことを残念がって、是非聴きたいと言って下さっていたので、もちろん快く協力を引き受けてくださいました。

そして今年から新会長になったのは、高校時代,1学年下で、ヴォーカルスタジオも音楽クラブも一緒に過ごした池田久美さんです。久美さんは高校時代からピアノで抜きん出た存在で、成績もよく可愛くて、特別目立っていました。東京の有煒会にも時々出席していたので何度か言葉を交わしたりもしていました。

それで、酒田有煒会に私のチラシを置かせていただけないか、とお願いの電話をしてみました。眞理子さんに当日チラシを持って行ってもらうからと言うと、久美さんは、それでは全員に行きわたらない場合もあるかもしれないから、300人近く出席者がいるので、久美さんの家に300枚送ってくれれば、当日午前中から準備をして、受付で全員に配布できるようにする、と言ってくれました。そこまでしてくれるなんて、とすごく感激しました。久美さんが人望があるのがわかったような気がしました。

そんなこんなで、連休中はチラシ、ポスター、チケットの発送作業に追われました。それぞれ違った状況で仕分けしながらなので、細かい作業で大変です。ようやく今日で8割方終わったところです。

事務所に所属しているわけでなく、個人で自主コンサートをする場合、こういうことが一番大変なことなんです。なかなか理解されにくいことですが。

酒田での大きな自主コンサートはこれで最後にするので、なんとか盛況に終えられるよう頑張って、協力して下さった皆さんと喜びを分かち合って乾杯!盛大に打ち上げをするつもりでいます。

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2017年4月16日 (日)

「わがまま気ままコンサート」を終えて

14日、「わがまま気ままコンサート」が終わりました。昨年4月のコンサートを最後に、一般向けコンサートはやめてソングセラピストに転向することをお伝えしました。ただ、気が向いたら小さなコンサートはするかもしれません、という言葉は添えていました。

そして早くも1年以内に気が向いて、以前何度も使わせていただいた西荻の「ココパーム」でライブを実施したわけです。皆さんはこれを逃すと、次があるかどうかわからないと思われたのか、早くから予約の申し込みがあり、満席となりました。

そして嬉しいことに、前回のWEB日記に書きました島田さんのお父様がお元気に来てくださって、まずはコンサート開始の真っ先に百歳のお祝いの乾杯をしました。私はギターを抱えていて乾杯の音頭が取れなかったので、ハーモニカ奏者で元埼玉県教育長の竹内さんに急きょ音頭をお願いしました。そのような役割は慣れていらっしゃるので、上手に音頭をとってくださって、皆さん心からお祝いの乾杯をしてくださいました。とても嬉しい光景でした。

さて、「わがまま気ままコンサート」ですが、「セラピーコンサート」とは対極に、なんにも気を使わないで自分が歌いたい歌だけ歌うコンサートなので、練習の時から楽しかったし、長年やってきて初めて自分自身が楽しめたコンサートになりました。特に、「クラシックギターの弾き語り」を始めた頃の原点である、クラシックの歌を声楽的な歌い方ではなく、「クラシックギターの弾き語り」としての独自の歌い方を作り上げてきた成果を、カッチーニの「アベ・マリア」と、オペラのアリア「君よ知るや南の国」でご披露できたことはとても嬉しいことでした。そして皆さんからも「君よ知るや南の国」がよかったと言っていただくことが出来ました。

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ココパームのライブ ココパームのライブ
久しぶりでココパームでライブ 島田さんのお父様 私の大ファンでいてくださった亡きお母様の写真と共に
ココパームのライブ ココパームのライブ
西崎進さんのピアノと共に シング・ジョイの皆さんと共に全員合唱

そして今回もうひとつの楽しみは、おふたりのゲストとコラボレーションが出来たことです。

1部の方では若い詩人の文月悠光さんと、「朗読と歌」とのコラボレーションをしました。彼女は最年少で「中原中也賞」「丸山豊賞」を受賞した将来有望な女流詩人です。とても好評でした。

2部の方では、もう20年位前に私のCDのアレンジなどをしていただいていた作曲家の西崎進さんで、この十数年交流が途絶えていましたが、昨年の4月のコンサートに来ていただいて以来、また交流させていただくようになりました。そして今、私のオリジナル曲「万華鏡」を題材にした交響曲作りの実験をしていただいている途中にあって、その冒頭部分を発表しました。

2部の後半ではピアノのサポートもしていただき、この数年間はギター1本だけのコンサートしかしていなかったので、皆さん、ピアノが入るのもまた良かったと喜んでいただきました。最後にはいつものように「時代を越えて」を全員で合唱しました。いつも参加していただいているコーラスグループ「シング・ジョイ(Sing Joy) 」のメンバーの方達もステージで一緒に歌っていただきました。「Sing Joy」は来年10周年記念コンサートを開催しますが、この「時代を越えて」を混声4部でご披露して下さることになっています。

お客様にはとても楽しんでいただけたと感じたし、私が「今回はセラピーではない」と言っているにもかかわらず、セラピーになっていたよ、と言われました。

本格的な「セラピーコンサート」は精魂込めて取り組むべきものであって、大変な思いをした分、達成感は大きいものです。それでも、そんなつもりじゃない気楽なコンサートをしても、私自身がセラピーになっているように言ってもらえたことは嬉しい発見でもありました。

また出来るような状況がきたなら、やれそうな気がしています。

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2017年3月25日 (日)

百歳のお誕生日

私たちの仲間である島田実さんのお父様が、3月18日めでたく百歳のお誕生日を迎えられました。

その1週間位前に島田さんから用事があってお電話があり、その時に、18日までのカウントダウンにはいり、プレッシャーを感じていると聞いて、当事者でなければわからない思いがあるということを知りました。少し前に体調が悪かった時があって、それはすっかり良くなりましたが、今度は背筋を痛められたということです。島田さんはお父様と2人暮らしで、その前にはお母様の介護をされていて、大変熱心に介護をしていましたが、2013年に90歳で亡くなられました。

島田さんのご両親は、2006年に私がCD「届けたい思い」を作った時、それを何度も聴いてくださって、コンサートにも度々来てくださいました。お母様の介護中にはギターを持ってお見舞いに伺い、ミニライブをしたり、亡くなられた時にも枕元で「あじさい」を歌わせていただきました。

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奥様の遺影を掲げる島田さんのお父様(左)とその折のビデオ(右)

お父様は大変知性にあふれて、シャキッとした紳士でいらっしゃいますが、とても穏やかで優しい方です。戦時中、中国に赴任しておられたことなど、たくさんの興味深い昔話を聞かせていただきました。今でも毎朝、正座をして新聞を隅から隅まで読まれて、たくさんの切り抜きをしてテーマ別の箱に収め、残った四角い切り抜きだらけのスカスカの新聞をきちんと重ねて片づけられるそうです。今はちょっと背筋を痛めて毎日とはいきませんが、1キロ程度の散歩も日課にし、(今休止中ですが)他にも日課として様々な体操などもされていて、青竹踏みは今も続けているそうです。

たくさんの逸話の中でいちばん笑えたのは、お父様が乾布まさつの時、「これはお前たちのおむつだ」と島田さんに言われたことをお聞きした時です。ふたりで大笑いしました。

そんなお父様ですから、大変人気があって、18日のお誕生日には料亭に御親族の他に、香港、シンガポール、台湾、ロンドンなどからのお客様で、総勢37人が集まられたそうです。いろんな外国語が飛び交い、お父様は英語でご挨拶をされたそうです。すごいですね!

昨年4月の私のコンサートにお母様の写真を持ってきたくださったことは、2016年5月2日の「ムーヴ町屋のコンサートを終えて」のなかで書いています。

4月14日、ココパームの「わがまま気ままコンサート」に、お父様の体調が大丈夫であれば、おふたりで来てくださるそうです。

その時にはみんなで、「百歳を迎えられて、おめでとうございます!」と乾杯しましょうね。

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2017年3月9日(木)

新しい拠点について

3月3日、秩父市で会社を経営されておられる若尾社長さんにお目にかかるために秩父に行ってきました。近藤さんの知人で、長野「水輪」を紹介して下さったB.順子さんがもたらしてくださった出会いになります。順子さんは、京セラの創業者として知られる稲盛和夫さんが主宰されている、中小企業経営者を育成する経営塾「盛和塾」の東京支部で勉強中ですが、そこで埼玉支部の「盛和塾」の代表である若尾社長さんとお知り合いになり、今度私たちが秩父市に住むことになったことや、近藤さんが稲盛会長を尊敬していることなどを話してくださって、お会いする段取りを手配してくださったのです。「盛和塾」とは、事業による利益を世のため人のために役立てようという精神が基本になっているそうです。
 当日、近藤さんと本田と私は特急で秩父駅に行き、先に車で温泉に行っていた順子さんが駅まで迎えに来てくれました。温泉に行ったせいか順子さんの顔がつやつやしていました。そして、車で若尾社長さんの会社に向かいました。不思議なことに、私たちが住むことになる家とすぐ近くなんです。

バイオ〜サプリメントを製造されている会社で、工場と一緒になっています。到着して案内していただくと、若尾社長さんは50歳くらいの方で、作業着を着て打ち合わせをされているところでした。お忙しいのに大変快く迎えていただいて、私たちが秩父に来ることを大変歓迎して下さいました。いろいろと秩父で活動したいと思っていることをお話することが出来、それにたいして何かお役に立てればとおっしゃっていただきました。

最寄駅が「皆野」なので、早速皆野の町長さんを紹介しましょうと、市庁舎に連れて行っていただきました。町長さんはお留守でしたが、課長さんが歓迎の面持ちで対応してくださいました。

ところが、いろいろお話しをしているうちに、私たちの拠点は皆野ではなく秩父市だということがわかりました。すぐ近くなのに川を挟んで向こう側は秩父市だということです。みんな「な〜〜んだ!」となりましたが、それでもなにかといろんな方々を紹介してくださるということでした。

とにかく、即行動に移してくださる若尾社長さん、順子さんに、盛和塾の精神をお持ちの実業家の方達は全然違うな、と感銘を受けて帰ってきました。
 そして帰って来てから、みんなが「長瀞」と言っていることにも疑問を感じて、良く地図を調べてみたら、長瀞も秩父市ではないんです。秩父郡皆野町、秩父郡長瀞町なんですね。長瀞もすぐ近くですが、秩父市ではありませんでした。今まで「長瀞、長瀞」と言っていてごめんなさい。これからは「秩父」と言わせていただきます。
 順子さんが温泉好きとわかったので、お礼のメールに「すぐお隣が温泉の『梵の湯』なので引っ越したら是非泊まりに来てください」と書いたら、順子さんから「梵の湯をネットで調べたら素晴らしい温泉だったので楽しみです」というメールをいただきました。「梵の湯」は下側にあるらしいので、まだ見たことがなく、きっと小さな温泉だろうと軽く考えていた私でしたが、ネットで見てみると、なんと!すごい温泉だったのです。関東屈指の重曹泉で、お肌つやつやになるそうです。岩盤浴やいろんな設備が整っている大きな温泉でした。そんなすごい温泉がお隣にあるなんてびっくりです。

これならきっと、皆さんも喜んで来てくださることでしょう。

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2017年2月15日(水)

原発事故から5年、福島からの報告

このところトランプ旋風が吹き荒れていますね。安倍首相がアメリカ訪問をしてすぐの国会中継を見ていたら、ある議員が「猛獣を飼いならしてきたように思えた」という表現があり、また世界各国からトランプ大統領のことを聞きたいために、安倍首相への招待が殺到しているそうです。政治のことは私たちには知りえない色々なことがあって、簡単にどうこう言えることではありませんが、ただ感じたことは安部首相の人徳的なところも大きかったように思いました。

それならば ‥‥‥ 国内の問題にも、もっと深く心を傾けて真剣に取り組んでいただきたいと思わずにはいられません。

私は毎日、テレビの番組表を見て、見たいと思った番組を録画しておきます。そして時間がある時に見るようにしているのですが、なかなか見る時間が足りなくて、録画が溜まる一方です。そのなかで、まだ見ていなかった、1月に放映された「それでも、生きようとした」(原発事故から5年、福島からの報告)を今頃になって見ました。

(クリックすると映像が見られます。リンク先が削除された場合視聴不能になります)

なんて迂闊だったんでしょう!もっと早く見るべきでした。私たちが何度も訪れた小高区のことが中心になっていて、見なれた光景がたくさん出てきました。震災から4年目で自殺率が急激に増えているということで、電話相談や、精神科医、福祉関係の方達が一生懸命とりくんでおられました。それでも命を絶った、ふた組の人のことがテーマになって進んでいきました。ひとりは佐藤善也さんという89歳の男性で、東京のアパートで避難生活を続けていましたが、福島には大きな家と広大な田畑を持っていて、家屋敷はそのまま現存しています。農業一筋で生きてこられた方なので、再開出来る日を待ちながら何度も訪れていましたが、2014年に見た光景は、佐藤さんの広大な田畑の目の前に、除染廃棄物が山になって連なっていたのです。その数日後に命を絶ちました。そして、30代の遠藤満弘さんご夫妻は、2012年にいち早く帰還して農業を復活させるべく頑張っていました。大柄で親分肌の遠藤さんは、放射性物質が流れてくることにも対処しながら、いいお米を作ることが出来ていました。

ボランティアの人も集まって米作りのプロジェクトを立ち上げもしました。でも、米の値段が3分の2に下がり、いろんな手を尽くしても売れない状況が続きました。以前来てくれたボランティアや、支援の人たちに呼び掛けても集まらなくなってしまったそうです。お金を得るために採石場でも働いて頑張っていましたが、とうとう2015年、遠藤さんご夫妻は山の中で命を絶ちました。佐藤さんも遠藤さんも、人一倍希望を持っていただけに、それを見失った絶望感は計り知れないものがあると思います。

そんな中で、小高区にある同慶寺というお寺のご住職である田中徳雲さんが、月2回バラバラになっている元住民たちに声をかけ、何人か集まって、失ったコミュニティを取り戻そうといろいろな取り組みをされていることが紹介されました。「今は絶望的な状況です。ひとりで出来ることは限りがあります。でもみんな一生懸命生きようとしています」とおっしゃって、「いのち」と書かれた旗を立てて皆さんの声に24時間耳を傾けておられるそうです。

 
福島県南相馬市小高区にある同慶寺と住職の田中徳雲さん

私は昨年、今までのようにセラピーコンサートが出来るか、仮設の自治会長さんをしておられた藤島さんに伺ったところ、藤島さんは今他の所に住んでいて、仮設の人たちも3月に出なければならないので、無理な状況になっているとのことでした。それで、いろんな催しをしているお寺があるので、そちらでよければと言っていただきました。その時私は、藤島さんが私に気を使って下さっているのだと思って、遠慮して行きませんでした。ところが、その同慶寺が藤島さんがおっしゃっていたお寺だったのです。コンサートをするということでなく、とにかく行ってみるべきだったと後悔しています。

昨年は気仙沼も南相馬もかえって迷惑なのではないかと思って行かなかったので、幸いなことに支援の会の資金が多く残っています。それなので、コンサートではなく、とにかく伺いたいと藤島さんに連絡しました。ご住職と親しいので紹介してくださるとのことでした。お寺に行ってご住職とお会いしたいし、出来れば知り合いになった仮設の人たちがまだおられる間に、皆さんに会えたらとも思っています。もちろんギターは持って行くつもりです。ソングセラピーでお役にたてれば嬉しいことですから。

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2017年1月31日(火)

枝璃貴子の「わがまま気ままコンサート」開始

4月14日に第1回の「わがまま気ままコンサート」をすることに決めました。昨年の4月のコンサートで、一般向けの大きな自主コンサートは終わりですと宣言しているので、「えっ!一般向けコンサートは辞めたんじゃないの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、「気が向いたら小さなライブをすることはあるかもしれません」ということは付け加えておりました。早くも気が向いてきたという感じです。というのは、周りの方達が「ほんとにもうやらないの?もしやる時は教えて」と言って下さることと、私自身がもう辞めたと思ったとたんに、すごい開放感を感じて、純粋に音楽が好きだった高校時代に戻ったように、自分の好きな曲に取り組んでいることもあります。

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そこから生まれた考えが、「わがまま気ままコンサート」です。「セラピーコンサート」は聴き手の心に沿うように、真剣に考えて取り組むコンサートです。その対極に据えるのが「わがまま気ままコンサート」で、自分が今好きなものを自由に、なんの脈絡もなく聴いていただくコンサートです。年に1回になるか、2回になるか、その辺も気ままに構えようと思います。

このような考えに至ったのには、遠藤周作さんが狐狸庵先生として書かれ、ユーモア文学と称された「ぐうたらシリーズ」と、今映画化されて話題となっている、重いテーマを扱った「沈黙」のような純文学とを使い分けておられたことです。

私は30歳を過ぎた頃に、いろんな喪失感から自律神経失調症になり、うつ状態に陥ったことがあります。その時に声楽の先生が、「芸術家はみんなうつ状態になったりするものです。今までなったことがないほうが不思議です」とおっしゃって、遠藤周作さんのぐうたらシリーズの本などをたくさん貸して下さいました。それらを読んでいるうちに、いつの間にかすっかり治りました。それ以来、心が苦しい時には本を読むようにしています。

遠藤周作さんは、「どくとるマンボウ」でおなじみの北杜夫さんと生涯の親友でした。北杜夫さんは精神科医でありながらひどい躁うつ病で、面白い本は躁状態の時に書かれていて、鬱の時には何ヶ月も引きこもっていたそうです。躁状態の時には大きな夢を実現しようと大借金をして周りに迷惑もかけていて、佐藤愛子さんは1千万円も貸していたそうです。この3人の交友録的なエッセイは三者三様にそれぞれの立場から書かれていてすごく面白いです。特に佐藤愛子さんの「躁病のバイキン」は、ほんとに可笑しいです。

佐藤愛子さんといえば、母が大ファンでよく読んでいました。名前も同じ愛子です。特に「戦いすんで日が暮れて」が気に入っていました。母は、父が2度も事業に失敗したり、いろんな苦労をかけられてすごく精神的に追いつめられたことがあったと思います。加藤諦三さんの心理学などの本もよく読んでいました。母もやはり本に救いを求めていたのだということが今になってわかります。母の葬儀の時には棺の中に「戦いすんで日が暮れて」の本を入れて、「ご苦労さまでした」と心で告げました。私も母の本を読んでいたので、今の私が辛い思いをしている人を「歌」によって心を楽にしてあげられたら、と思うようになる原点であったかもしれません。

そんなわけで、「わがまま気ままコンサート」を開始します。三納さんがデザインして下さったチラシが面白いです。以前本田が作った版画の、ちょっとわがまま風な顔をした私の頭のあたりに「わがまま気まま」と書いてあります。これも確かに私の持っている一面に違いないと自分で思って、思わず笑ってしまいました。

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2017年1月18日(水)

今年のお正月

皆さま、お正月はいかがお過ごしでしたか?私はいつもと特に変りなく、初詣と映画を観に行きました。初詣は、昨年にひき続いて新宿の花園神社です。芸能の神様である浅間神社が併設されているのが魅力で、大きなお守りを買いました。おみくじは、末吉でしたが、内容があまりにも今の状況に重なっているので驚きました。全体の運勢は「心配ごともなくなり以前のままに真面目に働けば幸福になります」、願事「他人とともに望むことがよく、わがままをしなければかなうでしょう」、転居「はやく所を変えるのもよいでしょう」などなど、これからの長瀞行きに追い風が吹いている感じではありませんか!

映画は「海賊と呼ばれた男」です。出光創業者・出光佐三氏の実話でした。出光氏をモデルとした主人公・岡田准一が、明治から昭和にかけて数々の困難を乗り越え石油事業に尽力した男の生きざまを、戦後の復興、そして世界の市場を牛耳る石油会社との闘いを軸に、日本人の誇りを胸に、周囲の仲間との絆を重んじた主人公の青年期から老年期までを演じています。最初の場面で、小さな会社が借金を返す見込みがなくなり、貸主の近藤正臣にもう会社をたたむと告げに行った時、近藤正臣のセリフに惹き付けられました。「3年でダメなら5年、5年がダメなら10年、それでだめだったら2人で『百姓』(これは記憶があいまいです)でもしようじゃないか」というようなことを言ったのです。今、私は長瀞に行っていろんな計画を軌道に乗せるのに「3年」と思っているところだったので、すごく気持ちが楽になりました。

そして数々の困難というのは、ものすごい過酷なことが次々と起こって、命がけで乗り越えていくのでした。そこには周囲の仲間たちが付いてゆく主人公の人間力に感動する場面もたくさんありました。この映画を観ながら、私自身驚いたことですが、私の中にふつふつと闘志が湧き上がってきたのです。「私って男か?」と思いました。でもこれまでの人生が、自分自身と闘って来なければならなかったから、ほんとは「過保護に育ったお嬢ちゃん」だったのに、いつのまにかこんな、想像すらできなかった性格を持ち合わせる人間になっていたのでしょう。

長瀞の計画というのは、基本的に、生き甲斐をなくしている高齢者の方達や、悩みを抱えているいろんな年代の人たちが、音楽やセラピー、他のさまざまな文化や、自然とのふれあいを通して心が活気づき、コミニュケ―ションがはかれる場を作っていきたいというものです。

昨日、音楽家ユニオン・フリーポピュラーの幹事会がありました。かつて兄妹弟子だった、すずきたけおさんも今一緒に幹事をしています。私と全く同じくクラシックギターの弾き語りをしていて、埼玉の与野市でずっと活動をしてきました。埼玉ギター協会を主宰したり、今度また新たなミュージシャンの会も作ろうとしています。その活動は私の考え方とよく似ているような感じです。私の長瀞行きに対して、すごくいいと言ってくれて、その会の方々を連れて、合宿やバーベキューの会などに来てくれると言ってくれました。

昨日の会話の中で、彼が発した一番の名言をキャッチして、WEB日記に書くと言ったら、「俺が言った言葉だと書けよ」と言われたので、ここにご披露しましょう。「すずきたけおも、枝璃貴子も、小さくてもモ―タ―である。どんな小さくても歯車を回すことが出来る。でもモーターが止まったらなにも動かないのだ」

私も、ほんのか弱いモーターですが、止まらないように頑張ります。皆さんよろしく応援して下さい。

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2017年1月1日(日)

ダイアモンド富士

明けましておめでとうございます

昨年中はありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年(2016)の12月17日のWEB日記「第32回枝璃貴子と気のいい仲間たちを終えて」の文章の最後に〈来年の私の活動について大きな転機が訪れたことを皆さんに発表しましたが、それについては次回のWEB日記でご紹介したいと思います〉と書きました。今回は年頭にあたり、それについてのご報告をさせていただきます。

今年の秋以降になりますが、拠点を吉祥寺から埼玉県の長瀞の方に移し、音楽、セラピー、その他様々な文化活動を行うための基盤作りを始めることになりました。これは、突如としてもたらされた思いがけない話から、端を発しました。私の支援の会の事務局を担って下さっている近藤さん(2016年8月27日のWEB日記「絵画二人展」)が、10月9日に、秩父で毎年行われている古式龍勢祭りを観る会を観る会に参加した時のことです。会を主宰されているGさんから、長瀞にあるご実家が空き家になったので、だれか使ってくれる人がいればということを聞いてきて、私たちがどうかと考えてくださったのです。Gさんは私の支援の会にも入ってくださっていて、南相馬のコンサートツアーにも同行していただいています。

早速、10月30日に近藤さんと本田と、支援の会の田原さんと4人で見に行くことになりました。所沢から特急で西武秩父まで1時間弱です。Gさんは前日体調を崩されたので、西武秩父駅にはGさんの弟さんが車で出迎えてくださいました。そして手作りのそばをご馳走して下さるということで、途中でそばの材料を買ってご実家に行きました。私の予想では山の麓のようなところかと思っていたら、国道沿いにあり、なんだか酒田の郊外のような懐かしさを感じました。

母屋に入ると、8月に急逝された甥御さんが住んでおられたそのままの状態になっていました。何部屋もあって広いお家でした。私が心を惹かれたのは母屋に入る途中にアトリエのような建物があり、自由に使ってもいいと言われたことでした。私としては、すぐに音楽のスタジオや小さな演奏会などが出来るスペースだと思い、嬉しさがこみ上げてきました。本田のほうはもともと畑づくりなどが好きな人ですが、広い畑や田んぼを見せていただきました。それにすぐ下には温泉があります。

いろいろ案内していただいてから、すごくおいしい手作りのおそばをご馳走になり、楽しく団らんをして帰路に着きました。近藤さんと私は、もう夢のようでわくわく気分でした。本田はいろいろと責任重大ですから慎重に構えていましたが、その数日後Gさんとお会いして、いろいろな話し合いの結果、今年の秋以降からお借りすることになりました。

なにしろ突如としてもたらされたことで、いろいろクリアしなければならないことがたくさんありますが、このようなチャンスは願ってもそうそうあることではないので、他の様々なことも乗り越えていけると思います。幸い、皆さんにこの話をすると喜んでくださって、「手伝いに行く」とか、「合宿に行く」とか協力的な言葉がかえってきます。これまで私は、転機を迎えて新しい境遇で目標を持った時、なかなか思うようにいかない時でも、いつも「石の上にも3年」と思って進んできました。そして、それをなんとなく体現してきたような気がします。だから焦らずゆったりと構えていけばいいと思っています。

このようなきっかけを作ってくださった近藤さん、私の活動の拠点作りに快く同意して下さっているGさんに対して、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。おふたりのご協力も賜りながら、夢の実現に向かっていこうと思います。

これからも皆さま、ご支援・ご協力、よろしくお願いいたします。

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